無題(後編)

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この出来事から翌日足袋の火葬に向かった。

着いたペット霊園はがらんとしていて寂しい雰囲気の場所だった。

悪天候の中私たちは傘をさす。そこへ和尚の車がやってきた。

 

車から降りてきた和尚を見て驚愕した。角刈りに色のついたメガネ、グレーの丈が短めのパーカーにグレーのスエット。声はめちゃくちゃガラガラだ。もうカタギの人やないやん。怖い。しかも左足にはギプスをしていた。数日前階段から落ちて骨折してしまったらしい。パワーありすぎて第一印象が ??? の状態だった。杖をついて歩いているので傘をさしていなかった。恐る恐る角刈り和尚と相合傘をすると

「だいじょうぶだぁ〜〜」なまり全開で気遣われる。カカカと笑いながら玄関でギプスが濡れないにぐるぐる巻きにしていたビニールをべりべり剥がしていた。これも手伝おうとすると「だいじょうぶだぁ〜〜」とやっぱり言われる。怖いのは見た目だけだった。着替えるのも困難なようなギプスをしていたので上だけサクッと袈裟を着て角刈り和尚はお経をあげた。30秒くらいでおわった。

 

火葬をしている間、受付のソファで時間が過ぎるのを待った。

ふと角刈り和尚が自分の寺にタヌキがよく来ると教えてくれた。年季の入ったアルバムを差し出され、ひらくとかなりの至近距離でタヌキが写っている写真がたくさんあった。

 

「タヌキはねえ酔っぱらっておもしぇんだ~」

 

角刈り和尚は不意に言った。

 

ちょっと意味が分からない。ぽかんとしていたら説明が続けられた。

「タヌキはなんでも食うろ~。イカのてんぷらに酒しみ込ませてやるとおもっしぇんだ~」

カカカと角刈り和尚は煙草をふかしながら上機嫌である。上機嫌すぎて灰を灰皿に落とすのを忘れ床にぼたぼた落ちている。

「ああ~~タヌキの置物ってお酒よく持ってますもんね~」

近所の人が納得したように言う。

そこじゃないよな~~~~~~~

 

その後滞りなく無事に最後まで火葬は済んだ。

足袋よ君がつないでくれたご縁で早速田舎の洗礼を受け面白い経験をさせてもらったよ。

わたしと仲良くしてくれてありがとうね。最高に優しい猫ちゃん、どうか安らかに。

 

無題(前編)

夫の実家の猫が死んだ。

母息子の二匹いて死んでしまったのは息子の方だ。

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前足が白いので名前は足袋という。私は10年ほど前からこの足袋を知っていた。人懐っこく優しく身体の大きい猫だった。訳あって2年ほど前からご近所さんに足袋だけ引き取られ暮らしていた。引き取られた先で肺癌を患い死んでしまった。

 

しばらく私たちは仙台に住んでいたが、先週からまた転勤で夫の実家に戻ってきた。その矢先足袋が死んでしまった報せを受け亡骸に会いに行った。

口を少し開けて横たわった足袋がそこにいた。かわいいブランケットが身体にかけられていた。頭を撫でてみる。毛並みは良かった。ブランケットをめくってみる。想像したより痩せてはいなかった。かわいいかわいい白い足先が目に入る。改めてこの横たわった猫が足袋だということを認識したら涙が止まらなかった。

 

引き取ったご家族全員が足袋を溺愛してくれて幸せな最期を過ごしたことがわかった。

すごく短命だったわけじゃないし長寿だったわけでもない。出会ったとき3.4歳だった猫が寿命といわれてもおかしくないような歳に死んでしまっただけなのだ。それだけ自分も歳をとっているのだ。

 

足袋を引き取ってくれた近所の方が翌日火葬にも是非きて欲しいと言われた。よその家の猫になってしまった火葬に行くのはどうだろうと思ったが、足袋は私にも仲良くしてくれたし何かの縁かもしれないと思い行くことに決めた。

 

その火葬場でとんでもない和尚と出会うことも知らずに…

水風呂と私

銭湯にいっても水風呂なんてだれが入るねんと毎回スルーしていた。しかしこの記事を見てから水風呂いいかも…と思うようになる。

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お風呂と水風呂交互に入るとめっちゃええで~~的なことを書いておられる。

当時は銭湯に行く機会もそれほどなく、足を少し入れては冷たさに耐えられず毎回断念していた。

 

数年後モーニングでこの連載を目にする。

 

 筆者がサウナ大使としてサウナの素晴らしさをひたすら伝える漫画である。ちなみにコップのフチ子さんをデザインされた方でもある。

サウナと水風呂を繰り返すことによって脳に酸素がたくさん送られ多幸感を得ることができる。その状態をサウナトランスといい、動詞にするならば「ととのった」と表現していた。

 お風呂よりサウナのほうが身体はあったまりそうだしこれなら水風呂に入れるかもと思い、挑戦してみる。膝までいけた。断念より「自分もととのってみたい」気持ちが勝り次回はへそ、その次は肩と段階を踏んでだんだん水風呂に入れるようになった。

 

わたしが「ととのった」のはこの初めて肩までつかれたときである。ここの水風呂は滝のような形で壁の上のほうから水が流れている仕組みで、ジャバジャバとつねに水の音がしている。あれ?ととのってるかもと思った時には冷たさで喉がスースーして目の前がゆっくり回っているような感覚になり、目を閉じると水の音がやたら大きく聞こえウワ~~きもち~~~~となった。

だがやりすぎてぶっ倒れても夫と来ているので女湯に知り合いはいない。見ず知らずの他人に全裸で迷惑をかけるのは申し訳なさすぎると理性が働きそう思った瞬間には毎回水風呂をでている。

これを経験できる日は毎回よく眠れる。

 

作中ではサウナは前戯!水風呂が主役!と表現されていたがまさにそうだと思う。

おそらくサウナと水風呂に入るのは男性より女性のほうが少ないと思う。世間ではアメトークでサウナ芸人が紹介されたり、マツコデラックスの番組でいろいろな銭湯が紹介されている。またSPA!でも尊敬するまんしゅうきつこ先生がサウナ漫画を描いている。女性のみんなもっとサウナをたのしめばいいとも思うが、いつ行っても空いているサウナと水風呂でなくなるのも嫌だなと思ってしまう。

そのくらいサウナと水風呂は最高なのだ。

 

映画夜は短し歩けよ乙女

きっかけは2010年ノイタミナで放送された「四畳半神話大系」というアニメだ。

 

深夜車で学生のころの友人の家に遊びに行き、私たちは社会人になったアレコレを楽しくおしゃべりをしていた。テレビはBGM程度につけっぱなしになっておりだれもみていなかった。

そのとき「ぼのぼの」でおなじみの汗をかくときに出る効果音がテレビから聞こえてきたのだ。思わずテレビにくぎ付けになった。でも流れているアニメには人間が出ている。「ぼのぼの」ではない。なんだこの影絵のような人物ががぐにゃぐにゃ動くカラフルなアニメはと衝撃をうけたことを今でも覚えている。そして初めてみたはずなのに謎の既視感があった。

 

映画クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険だ。

 


ヘンダーランドの大冒険 追いかけっこ

 

この追いかけっこのシーンが強烈に印象に残っている人は少なくないと思う。

 

これは面白いに決まっていると思い家に帰ってから1話から全部観た。調べるとこのクレしん映画の絵コンテを担当した湯浅政明という人物が四畳半神話大系のアニメの監督を務めていた。他にもクレしん映画ロボとーちゃんやピンポンのアニメに関わっており、絵や動きを観ただけでこれは湯浅さんが関わっているとわかるくらい個性的だった。

 

原作は小説ということを知り、原作厨の私はすぐにamazonで購入することを決め、併売として夜は短し歩けよ乙女も表示されていたので勢いで買ったのである。こうして今から7年前に今回の映画の原作に触れる機会を手に入れた。以来原作者の森見登美彦のファンになり、ほかの作品も読み、今でも楽しんでいる。

 

夜は短し歩けよ乙女のアニメ化も心から望んでいた。できれば湯浅監督でと望んでいた。望みは叶い、四畳半神話大系のスタッフと同じと知って小躍りしたくなる気持ちを抑えられずにはいられなかった。しかも主演声優は四畳半神話大系と同時期に知って好きになった星野源だった。

作中の言葉を借りるならば「こうして出逢ったのものも、何かの御縁。」と言わずにはいられない。

 

原作は4章を四季ごとにわけ、1年間を書かれていることに対し、映画は一夜で四季をめぐる構成になっていた。映画という限られた時間のなかでのこの構成はテンポの良さに拍車をかけたと思う。観ていて爽快だった。

原作で想像していた情景が映像という形で目に飛び込んでくることに感動を覚えた。偽電気ブランや火鍋を口にするシーンはあまりにアニメ的すぎるがそこがユーモラスで自分も口にしたいと心底思った。三階建て電車の登場シーンには、ああこうなっていたのかと不思議な説得力がありうっすら涙が浮かんでしまった。

アニメーションでできるすべてのことを取りこぼすことなくやってのけた傑作だと思う。

これから映画を見る人はぜひ原作を読んでからこの傑作を観てほしいと思う。

 

 

 

 

 

お飲み物

「麻婆豆腐は飲み物です」

こんな感じのタイトルのブログを若槻千夏がやっていたと思う。ブログこそ読んだことはなかったが、このタイトルには強く同意したのを覚えている。

 

せっかちな性格なので食べるのが早い。

だいたいの食べ物は数回ほどの咀嚼後飲み込んでしまう。まだあまり形が崩れていない状態で食べ物が食道を通っていくことが好きなのだ。

 

のど越しを楽しむものはビール以外にもたくさんある。

スパゲッティのつるつる感や、ごはんのひとつぶひとつぶを食道で感じるのはなんとも快感である。

咀嚼をして唾液とでんぷんを混ぜ、ブドウ糖ができる事によって「あんま~~~~~い」と感じることは私には必要ない。

優先すべきはのど越しなのである。

 

咀嚼をしないことによって満腹中枢の刺激が遅れ、必要以上に食べ過ぎることが多々ある。ラーメン二郎を食べられるのもこのせいだと思う。

 

せっかちなのは食事だけではない。

漫画や本もだ。漫画なら大抵1冊10分で読める。だがお察しの通り内容はほとんど入っていない。

ではなぜページをめくる手が止まらないのか。

それは自分の今まで知らなかった情報が脳を通過することが快感なのだ。

速読ができるわけでないので本当に通過である。このキャラクターがさっきとは違うことを言って、みたことない動きをしている。すごーい!

ただただものすごく薄っぺらい好奇心が私のページをめくる手を動かしているのだ。

 

それでは同じ本を何度も読めばだんだん内容が頭に入ってくるのではないか。そう思って一度読んだ漫画を手に取っても「なんかこれ読んだことある気がするなあ」なんて一瞬でも思ってしまうと一気に読む気がなくなり本棚へ直行するのだ。

 

こんなに愚かなことがあるだろうか。

 

このままではいけない。もう三十路を迎えたし代謝も落ちてる。

よく咀嚼することで食べ過ぎを防ぎ、消化器官の負担を抑えればダイエットにもつながるはずだ。

漫画や本だって時間がかかってもゆっくり咀嚼することで無駄な時間も省けるし、このブログに感想だって書けるようになるかもしれない。

そんなことを考えながら先ほど夕食の用意をして、着席してから5分で大盛のスパゲッティを平らげた。

 

 

 

 

 

マスターのこと

6年ほどのつきあいのあるマスターがいる。

彼のことをマスターなんて一度も呼んだことはないけど、わかりやすいと思ってここではマスターと表記する。

 

出会いは仙台に住む前の山形時代。

同僚に教えてもらったカフェでコーヒーを淹れていた。

ぱっと見ただけで百戦錬磨のつわものであることがわかった。

外見がプロレスラーとかそういったわけではなく、百戦は肉体ではなく精神のほうを錬磨しているように見えた。

嫁いだ先が山形だったので当然友人は近くにおらず、当時人生のどん底と言わんばかり落ち込んでいた私は日ごろの鬱憤をマスターの洗いざらい話してしまった。

出会って日は浅いけどそういったことを受け止めてくれそうな器にみえたのと、あまり自分のことを知らない人になら話せる状況でもあったからかもしれない。

私の愚痴を面白がってくれたマスターは盛大に笑い飛ばしてくれた。

一番自分のしてほしかったことを知っててくれたみたいに笑い飛ばしてくれた。

それがきっかけか、他のお客さんに私のことを紹介してくれるようになり、そのカフェではなんとなく友達と話すようなテンションでいられるようになった。

 

そんなときマスターが仙台でお店を出すことが決まり、山形を離れる事になった。

残念であったが仕方がない。いつかまた会う日があるといいななんて思っていたら追いかけるような時期に私たちも転勤で仙台に引っ越すことになった。

 

仙台のお店にも顔を出し、たくさんのお客さんに私を紹介してくれた。

「僕のことをわざわざ追いかけてきてくれた山形からのお客さんだよ。」

決まっていつもこれを言う。

「やめてよ!いつもそれ言うんだから。この人の話は話半分で聞いてくださいね」

お店に初めて来たお客さんに私が言う。ここまでがテンプレ。

なんだこれ。この店のご意見番か。

 いつも私のことを面白がってくれるので居心地が良くてついつい行けば長居をしてしまっていた。

 

今回の転勤で仙台を離れることを告げると

「わー!最悪!山形から来た人はお断りにしよ~」

また笑い飛ばされた。でも作業の合間に「さみしくなるな~」とつぶやいてくれたことを知っている。嬉しかった。

 

友達がいないといつも嘆いてた私にお客さんを紹介してくれて、そのさみしさを埋めるきっかけをくれたのは

山形でも仙台でも間違いなくマスターだった。

いつも面白がってくれてありがとう。

面白がってくれるかもしれない話をしこたまため込んでまた遊びに行こうと思う。

 

 

ちびまる子ちゃん

 

「あんたって本当にちびまる子ちゃんだよね。」

 

友人にそう言われたことがある。

昔からちびまる子ちゃんは大好きだったし、小学生のころ「藤木くんがさ~…山根がさ~…」と妹と話しているのを聞いた母は、まじもんのクラスメイトのことだと勘違いしたくらいナチュラルに話をしていたようだ。

ちびまる子ちゃんの世界に私が登場してもいいってことなのだろうか。嬉しいと勝手に思った。

 

だが友人が言いたかったのは私がちびまる子(さくらももこ)に似ているとか、新キャラとして登場とかいうことではなく、私そのものがちびまる子ちゃんという世界観を体現しているということだった。

わたしはまる子であり、たまちゃんであり、藤木くんであり、山根なのだ。

キートン山田といっても過言ではないかもしれない。

 

 

先日までお世話になっていた職場で大変面白い女性の先輩がいた。

明るくフランクで愛のある毒を吐いて仕事をするような人で毒を含めて私は大好きだった。

飲みに行ったときも、たくさんお酒を飲んで姑の愚痴を言いながら「バッキャロー」と隣の人の肩を抱き叫ぶところを見てますます好きになった。

先輩の独壇場の飲み会だったが全然嫌な気分にならない。むしろもっと続けてほしかったので私も「そうだそうだ!」と調子にのって合いの手をいれた。

 

そんな時、夫の転勤が決まり、仕事を退職しなければいけなくなり、先輩のことをもっと知って仲良くなりたかったのに大変残念だった。

でも最終出勤日の休憩中に先輩からのちほど連絡先を教えてほしいと言われた。

普段から連絡先を聞かれることが全然ないため、嬉しくて興奮して「あ!今スマホだします!すぐに!」といって鞄をごそごそしたが

「食事中だからまたあとで」と苦笑いをされた。

嬉しさのあまり身を乗り出してしまった自分が恥ずかしい。

他人との距離の詰め方が下手くそなのがこんなところで出てしまった。

 

先輩とまた飲みに行く機会があったら自分が歩くちびまる子ちゃんと言われたことがあると話してみようと思う。

肩を抱かれて「バッキャロー!」と言われたい。