凍てつきし我が青春の日々⑤

昭和19年12月2日(土)曇、小雨

12月に入るとさすがに寒い。急に寒くなつた気がする。軍隊に入つて初めての冬であるので、これからは益々寒くなつて行くのに先が思いやられる。何と言っても足が冷えて冷たいのには困る。応召前であつたら、今頃は火鉢に火を入れ、夜は暖かい夜具にくるまって寝ておったのだが、変われば変わるものだ。しかし我等は帝国軍人である。この位の寒さに負ける様であっては、軍人たる本分が勤まらない。寒さが何だ。頑張るのだ。

今朝は約十日ぶりに練兵場で駆け足を行ったのでさすがに苦しくて、今にも落伍しそうであつた。自分の様に体力の無い者は駆け足が一番苦手だ。今にも心臓が破裂しそうであつた。これでは軍人の用が務まるであろうか。もっともっと体力の錬磨に務むべきだ。頑健な体力の養成こそ、自分の最も望んで止まないところである。地方に居るとき、何故体力の錬磨に心掛けなかつたのであろうか。今になつて悔いても致し方がない。平常の心掛けが大切であつたのだ。今からでも遅くないと思う。今後一層体力に関して注意しよう。

明日は日曜日であるが、引率外出が行われるであろうか。軍隊に入つての一番の楽しみは何と言っても外出と、腹一杯食べることである。明日外出があつたら映画でも見ようかなあ。

今日は母の命日である。三年前の即ち昭和16年12月2日朝、母は自分の帰りをまちわびて、遂に自分に会えずに死んでしまったのだ。東京の下宿で電報を見て、驚き悲しんだ。最愛の母をあの日より永遠に失った。ああ今日はその母の命日である。母さん何故真でしまつたの。もう一度生き返へつて来てもらいたい。

昭和19年12月3日(日)曇、寒し               

総員起こしと同時に大掃除、朝食までに終了。海軍基地までの行軍は、雨が降つたりしたので、予定より遅れて午前十時頃出発。墓地まで行かず、約30分の行軍で解散、昼食を済ませて、佐世保市中に出る。うどんや果物、ミルク等を食べ、時間があつたので、映画館に入ったが、全部見ないで出た。

昨今の寒さには全く震え上がる程である。市内を歩いて敬礼をする時も、手が冷たくて指が伸びない。震えながら歩いておると、地方に居たときが恋しい。娑婆の人が暖かそうにしているのを見ると、昨年の冬は自分もあの様であつたのだがと、昔が思い出される。然しこんな弱音を吐く様では、未だ本当の軍人になりきって居ないのだと、強く自省しなければならない。

昭和19年12月4日(月)曇、寒し

昨日は外出で紅茶とかミルクを数杯飲んだためか、昨晩は数回も便所に起きて、今日はいささか眠い。午前の庶務の時間は堪らない程睡魔に襲われて閉口した。

今日は朝から第二警戒配備となり、一日中解除とならない。

昨日は東京に、B29、70機も空襲があつた様だ。自由が丘は大丈夫だろうか。心配だ。

指の傷が中々治らないのには困る。朝晩非常に痛みを感ずる。化膿しておるので、もう20日以上もバスに入れないので、身体が不潔になって居ることだろう。早く治さなければ、作業にも差し支える。