凍てつきし我が青春の日々⑦

昭和19年12月7日(木)曇時々晴 寒し

起きると未だ薄暗い。冷たい風が吹いて、手も耳も感覚がなくなつて来そうだ。上半身裸体で駆け足をするが、朝の冷え切った空気をついて走るので、身体が痛い様だ。今朝は五周したので、さすがに疲れた。

月例健康検査が行われた。チフスの予防注射を胸にしたので、痛くて手が上がらない。

この頃は日時の経つのが特に早い様に思える。

種々噂に聞くところによると、東京空襲の被害が相当大の様である。自由ヶ丘の辺りは如何であろうか。無事なることを祈る。

明日は大東亜戦争勃発三周年記念日だ。早いものでもう三年になる。

明日は5時半総員起床の予定。洗石一個塵紙若干配給になる。

夜9時15分迄の温習中は寒くて何も頭に入らない。送って貰ったシャツを着たが未だ寒い。

昭和19年12月8日(金)曇時々小雪

三度迎える大東亜戦争大詔奉戴日である。今朝は5時30分総員起こし。6時より第二警戒配備となる。

昭和16年12月8日は丁度母が亡つたので、博多に帰っておつたが、哀しみの内に、大詔換発の報を聞き、ハワイの大戦果に感激したものだ。

午前8時より詔書奉読式挙行さる。

寒い筈だ。もうちらちらと雪が降って来る。やっと冬になったばかりの時、今頃こんなに寒いと先が未だ長いので憂鬱だ。

今日は特別防空訓練があったので、夕食は握り飯一個とリンゴ半個だけ配給され、腹が空いて困った。

明朝は5時より第二警戒配備となる予定であるので、巡検終了後、温習が無く、すぐ寝た。寒くて足の先が冷えて中々寝付かれない。もすこし毛布が長いと良いのだが、少し短くて足が出る。夜中に水が飲みたくて困った。夕食の味付お握りを食べてお茶を飲まなかった故であろう。