凍てつきし我が青春の日々⑧

昭和19年12月9日(土)曇時々雪

午前四時半総員起こし、五時より第二警戒配備となる。午前の陸戦は庶務と金銭に変更。正午第三配備となる。

今朝は早く起きた故か、座学の時間は眠くてどうにもならなかった。今日は食事当番であったが、大の配食鍋が無くなっておったので、苦労した。

明日の日曜日は行軍だそうだが、何処まで行くのか不明なり。本日は大した記事も感想もなし。

昭和19年12月10日(日)曇

引率外出、九時出発、海軍墓地参拝の後解散。

本日は自分の一世一代大失敗をした日だ。余りにも自分がうっかりしておった事に情けなく思う。今更泣言を言っても無駄だと思うが、二度と繰返さないため、誌しておく。

海軍墓地参拝後解散、自由行動となつたため、其の場でご昼食を取り、川原一水と市中の方へ行ったが、川原一水は親戚の家へ行くと言ったので佐世保駅の手前で別れた。これが今日の失敗の原因となったのだ。

午後一時四十分頃映画でも見ようと思って、映画館の前を歩いていたところ。艦の者と称する上等兵は自分を呼び止めて、お前は何分隊かと聞いたので、29分隊だと答えたところ、今日集会所の前でお前達と同じ服装をした者から下士官が財布と時計を取られたから、お前の財布を見せてくれと言うので、自分は集会所には行かないし、盗んだ覚えは無く、潔白だったので、これは確かに自分の物だ。良く見てくれと言ったところ、下士官が待っておるから、それに見せて確かにお前の物なら返すと言って、千日食堂の中に連れて行かれ、ここで時計と財布(50円在中)を渡せと言われたので、相手が上等兵であったので、仕方なしに渡した。そうしてお前はそこで待っておれと言って、走り出したので、不安に思って後を追ったが、曲がり角で見失ってしまった。しまったと思ったが、もう遅かった。全て後のまつりだ。奴は最初から計画的にやったのだ。時計も財布も大事な品だった。財布は母の形見だ。時計は入学記念の品だ。もう返って来ない。諦めるより仕方がない。大事な物を畜生、奪い取った奴は罰が当たるぞ。全く悲観する。

泣き寝入りとは何たることだ。もう一銭も無くなってしまった。どうしたら良いかなあ。クラス長に届けたところ、クラス長より教員、教員より分隊士、分隊士より先任護衛伍長、副直将校、当直将校へ届けられた。

団門に於いて三種軍装を着た上等兵を一人一人首実験したが、外出員が多くて、どの顔も同じ様に見えて、遂に発見する事が出来なかった。ああ今日は不愉快な日だった。軍人が何ら恥じるところなく人の物を取るとはもっての外だ。男らしく諦め様う。以後注意すべきことよ。よい教訓になつた。又自分の不注意のため皆に迷惑を掛けて全く申し訳ない。何と言って皆に詫びてよいのだろうか。

夜の温習止めの後、分隊付の助手より呼び出され、「外出中の不注意による事件を団内に持ち込んで、皆に迷惑を掛ける様ではお前は軍人精神が無い。特に教員を自分の私用に使うとは何事だ」と言ってギヤ庫で目茶苦茶に殴られた。海軍に入って以来こんなに殴られたのは初めての事であった。むしゃくしゃしていた気分が一遍で吹き飛んだような気がした。しかしさすが悔しかった。財布と時計を取られた上に、殴られて何とも言えぬ気持ちがした。自分は何と言う馬鹿であろう。余りにも人が良すぎる。今後はかかる事の無い様に気を付けよう。