凍てつきし我が青春の日々⑪

昭和19年12月18日(月)曇(父より来信)

経特には最近種々な事件が起こって困る。各自が緊張しなければならない。

父より手紙が来たが、家も粕屋郡古賀の方へ移った由、田舎へ行ってその生活その他不自由を感じている様である。

先日の被害届の様式が違っておったので、夜書き直したが、なかなか字が上手く書けないで困る。

昭和19年12月19日(火)曇寒し

朝先日の事件について、法務官より色々と当時の状況を調べられていたところ、第二警戒配備となり、続いて警戒警報、空襲警報となり、午前11時半頃まで解除とならなかった。幸い佐世保には敵機は来なかった。夕方再び第二警戒配備となる。暫くして解除となり、バス(風呂のこと)に入ったが、湯がよく沸いていないので、寒くて上がれない。バスに入ってすぐ寝ることが出来るのであったら、暖かい内に寝付くことが出来るが、相当時間温習(自習)してからでないと、寝られないので、足の先が冷えてなかなか眠られない。

昭和19年12月20日(水)曇寒し

総員起こしと共に練兵場に行き、例日のとおり駆け足で三周したが、近頃は六時半になっても、未だ薄暗い。冷たい風が吹いて来て、丁度東京の乾風を思い出す。

講義中の寒いこと全く話にならない。この頃は何処へも便りを出さず、無沙汰しているが、暇を見つけて手紙を出さなければならない。寒いとペンを執って字を書く気にもならない。

愈々今年も十日余りで終わる。昭和20年の元旦は佐世保海兵団で寂しく送ることになる。これも国の為だから仕方がないだろう。とにかく張り切った気持ちでこの冬は過ごさねばならない。

今年は一般に早く寒さがやって来たようだ。時々雪がちらついて、振るえ上がりそうだ。海軍は冬でも白い事業服と短い袖の冬シャツだけだから、一層寒いのである。夜の温習中冷えるのは一番苦手だ。最も悪い時期に講習を受けるのだ。机に向かっていても、何も頭に入らない。学生時代「コタツ」に入って、試験勉強しておった頃が非常に懐かしい。あの頃は、自由が丘の下宿でいたりつくせりの待遇を受けて過ごしておったが、今考えると勿体ない様である。しかし今は海軍軍人である。軍人らしく、

過去に未練を持たず、さっぱりした気持ちになり切って、勤めて行こう。

昭和19年12月21日(木)曇

暫く眠ったかと思うと、はや総員起こしの号令が掛かる。いい気持ちで暖まっている吊床から出るのが勿体ない様である。本当に朝になるのが早い。少ししか寝ていない様な気がする。こんな風で、最近は特に月日が経つのが早い。ぐんぐん経って行く。

今日は防空特別訓練日で、正午過ぎから演習開始、夕別課迄に終了す。

バス(風呂)に入ったが、最初はぬるくて、バスの中で振るえておったが、次第に沸いてきて、いい気持ちになり、身体は少しも洗わず、湯に浸かってばかりして、よく暖まって上がったので非常に気持ちが良い。このまま寝ることが出来るのだったら申し分がないが、午後9時15分まで温習をしなければならないので、なかなか辛い。然し立派な掌経理兵となるためには、一生懸命努力して、人に負けない様にしなければならない。もう講習も一カ月半は過ぎた。あと半分の期間である。しっかり頑張って行かなければならない。