凍てつきし我が青春の日々⑭

昭和19年12月30日(土)曇

今年最後の陸戦教練が行われたが、寒いので練兵場に午前中立っているのがなかなか辛い。午後の食事を炊水所へ取りに行ったが、時間が無かったので、余分の飯を貰わないで帰ったところ、飯の量が少ないと卑しいことを上等兵は言う。お蔭で三つも殴られた。こんな奴相手にしない。馬鹿者何を言っているのだ。詰まらない事をくどくど言い立てて、実際人間が小さい。小人だ。海軍と言う処はこんな処とは知らなかった。もっと親しみのあるところかと思っていた。厳正な軍紀の下に上下の融合が望ましいものだ。

昭和19年12月31日(日)曇

午前洗濯、手が切れる様に冷たい。本年最後の洗濯だ。

愈々昭和19年も暮れようとする。思い出多き年だった。一生忘れられない年と成るであろう。ああ19年も静かに暮れて行く。故郷や東京を偲んで寂しく暮を送る。家では正月の御馳走の用意で今夜楽しいことだろう。餅は有るのかなあ。家のお雑煮は美味しかった。もう一度食べてみたい。

昭和20年1月1日(月)曇時々晴

昭和19年も種々な思い出を残して終わり、昭和20年の元旦となった。昨夜は久し振りで定時に寝たので、夜が長く感じられた。

海軍で迎える正月は少しも正月らしくない。朝は雑煮であったが、湯をかけて柔らかくした餅が三つ入っていたが、少しも粘りけがなく、不味かった。寂しいものだ。

午前九時より遙拝式、御真影奉拝があったが、我々29分隊は一番最後であったので、待ち時間が長くて寒かった。

午食はどんな御馳走が出るかと思っておったが、期待が外れた。

午食後引率外出で市中に出たが、正月で店は休み、他に行くところも無いので、演芸館に入ったが、つまらなかった。5時半集合であったが、糧特の上等兵が時間迄帰らず、皆非常に迷惑を受けた。いくら待っても帰らない。何をしているのだろうか。皆どんなにか心配しておることも分からないで、何処をうろついているのだろうか。折角の正月も元旦からこんな事件が起きる様では不愉快だ。一月三日の祭日は外出禁止となることだろう。楽しみにしておるのだが、一人の不心得者のために、総員が迷惑することになる。

故郷の父母弟妹は正月で今日は楽しいことだろう。