凍てつきし我が青春の日々⑲

昭和20年1月9日(火)晴

段下のデッキより第五班の者が、我々の居住区である段上に移って来たので、昨晩は通路に吊り床を吊ることになったが、ここには踏み台にしていたテーブルもなく、ホックまで高く、吊り床の吊り輪を掛けるのに苦労したが、今朝の総員起こし後の吊り床の収めの時も足場がなくて困った。

今日は珍しく晴れて来て、風が当たらない処は割合暖かであむた。

夕食は米飯でなく「汁粉」の代用食で、小さい餅が一つ入っているだけだあり、腹が空いた。甘い汁粉ならまだしも、大して甘くないので汁粉とは言えない。

元旦の離職者(逃亡者)が本日禁足20日となり、講習員を免ぜられる。馬鹿な奴だ。彼一人の損でらなく、29分隊全員に迷惑を掛けること甚だしい。お陰で上陸出来る休日も外出止めではないか。講習もあと一ヶ月となった。益々寒くなるが、僅かの間だ。辛抱しよう。しかし風邪が酷くなって咳が出るのには困る。

昭和20年1月10日(水)晴

昨日今日は珍しく晴れた日だ。軟らかい太陽の光を身に受けて気持ちが良い。毎日こんな天気が続けば文句はないのだが、いつもはどんよりと曇った日ばかりだ。

夕食後防空特別訓練が行われた。その後バスに入ったが、熱く沸いておったので気持ちが良い。入浴が一番の楽しみである。

温習後総員整列が掛かり、下士官より文句を言われ総員殴られた。

諸例則の差し替えをするため12時過ぎまで起きていたが、眠くて能率が上がらないし、止めて寝た。

昭和20年1月11日(木)曇時々晴

昨晩は咳が出て頭が痛くよく眠れなかった。今日は食事当番、この当番が回って来ると嫌になる。今朝も飯の量が少ないと言って五つも殴られた。

比島ルソン島に敵上陸とか。いよいよ敵は近づいて来た。この戦争も比島の勝負で雌雄が決する事になろう。

朝の金銭の時間は眠くて目を開けておるのが、やっとであった。今日も諸例則の差し替えが沢山残っているので、早く休まらないので憂鬱だ。

煙草の手持ちが少なくなって来たので、非常に心細い。もう配給があってもよい頃だが。

昭和20年1月13日(土)曇

大野ヶ原へ野外演習に行く。往路は中隊の警戒行軍、目的地に到着して戦闘教練となり、行軍は楽なものであった。昼は野外烹炊で、腹一杯食べた。食事の後演芸会が催され、腹を減らす為に笑いの一時を過ごした。

愈々帰りが最も苦手な駆け足だ。敗走する敵に対する急追撃戦である。銃を持っておるので早く走れない。苦しい。しかし夢中で走った。汗びっしょりとなった。やっとのこた、皆について行く事が出来、集会所の前で突撃を突撃を行って終了したが、大野より集会所まで僅か18分にして到着し、分隊士より非常に元気があったと褒められた。

昼飯を食べすぎていたので、駆け足は辛かったが、終わりまで落伍することなくついて行けたのは、自分ながら相当頑張ったと思った。

夕食後バスに入り今日の疲れを休めた。明日は日曜日だ。気も楽である。外出許されるとよいが。