未だに動物占いをしてしまうこと
自分に自信がなくなったり落ち込んだりしたとき、動物占いをしてしまう。
自尊心回復のために誰かに私のいいところ10個教えろというには気恥ずかしい。動物占いならスマホでシュシュシュと検索するだけで良いところを10個も20個も教えてくれる。
欠点も書いてあるので次からこうして失敗を回避しようと前向きになれる。
子供の頃から占い、心理テスト、おまじないなど大好きだった。小学生なら一度は図書館で心理テストやおまじないの本を図書館で借りたことがあるのではないだろうか。
借りた本の中に願い事が叶うおまじないが載っていた。
白い皿の上に乗せた金平糖を月明かりの差し込む部屋の窓辺に一晩おき、それを食べながら願い事をすると叶うというものだった。我が家に月明かりが差し込む窓辺などない。引っ越しを強いられるくそみたいなおまじないに嫌気が差し、それ以降その本は読まなかった。
それでもおまじない自体は好きなままだった。
おまじないネコチャクラくんを知ってる人はどれだけいるだろうか。
このクロネコが主人公にたくさんのおまじないを教えてくれるのだ。ギャグのテンポの良さも秀逸で小学生はかなり好きな内容だったと思う。周りで読んでいる人は一人もいなかったけど。
話を動物占いにもどすと動物占いは90年代終わりから00年代に流行した、星座占いのように生年月日で自分が12種類のどの動物か占うものだ。なかでもさらに細分化されたものがあり、「自由なペガサス」や「おしゃれなチーター」など○○な動物とカテゴリーわけされたものが当時から大好きだった。1カテゴリ動物ごと100均にも冊子が売られていた。そのくらいお茶の間に浸透していたと思う。
わたしは「まっしぐらに突き進むゾウ」だった。ゾウかよ。小学生ながら特別可愛げもない、なんだか堅物そうな印象を受けがっかりした。「人の話を聞かない」や「キレると一番怖い」や「個人プレーが大きい」などあまりよい印象をうけないことばかり目に入った。キレると怖いという自覚は特別なかったが、これを知って以来自分は「キレると怖い」人間だということを自覚し絶対に人前でキレないようにしようと心に誓った。代わりにブチ切れて人に怒鳴り散らす夢をたまにみるようになった。
あとは家族を占ってここはあたってるここはあたってないなどその日話題になっただだけでブームはそこまで長く続かなかった。
中学に上がる頃にはそこまで占いやおまじないブームは去り、見てもめざましテレビやティーン誌の星座占いに目を通すくらいだった。
そしてここ最近動物占いの存在を思い出し検索してみると、今はさらに細分化され60種類あるという。
どうせ「まっしぐらに突き進むゾウ」だとは思ったが再度占ってみることにした。
「デリケートなゾウ」だった。
まっしぐらよりもよっぽど面倒臭そうだ。面倒臭い自分や面倒臭い他人はなによりもごめんこうむりたいものだ。嫌だ。すごく嫌だった。
しかし読み進めて行くと長所ももちろん書いている。わたしの堅い性格を肯定してくれていた。
特に頷いたのは「デリケートなゾウは内向的な性格である。内向的とは性格が暗いとは別で自分の世界があるということだ。みんなで協力して遊ぶことより本や映画など一人で楽しめる世界を知っている。一人の時間の価値を知っているのでむやみに他人に話しかけないが一旦打ち解けると喋りまくる。」の部分だった。
転勤族の妻なので職場が変わることもしばしばある。社会人になってから10年近く経っているのに、変わるたびになかなか馴染めず自分から雑談をできないことにいつも悩んでいた。
でもこれを読んでからそれでもいいや、と少し思えた。むやみに他人に話しかけない理由がすとんと腑に落ちて安心したからだ。
4月からまた引越しして新生活が始まる。きっと忙しくなる。ただでさえ4月はいつもソワソワして落ち着かないのに環境の変化に不安をかなり感じる。
でもそうした時、わたしにはいつも自分を鼓舞してくれる「デリケートなゾウ」がそばにいる。友達が近くにいなくても、インターネットの工事屋が繁忙期な時期でなかなかネットに繋がらなくても一人の時間の価値を知っている。時間がかかってもこの場所に引っ越して来たのは意味があったなって次も思える自信がある。
だけどやっぱ役所系の手続きめんどくせ〜〜!!!!!!!