二年間義母と同居したこと
二年前の三月、夫の転勤が決まった。当時は仙台に住んでおり、夫の実家近くの店舗に転勤の辞令が出た。夫の母と同居という選択肢しかなかった。
そのことを当時の職場の人達に伝えると「うわぁ〜」や「が、がんばってね…」などご愁傷様的ムードのリアクションばかりだった。
みんな同居はしたこたがないようでマイナスのイメージしかないようだ。私だってそうだった。
義母のパワフルな感じに疲れてしまう自分が容易に想像できた。
悪い人ではない。むしろ今までだってよくしてもらってきた。でも他人と暮らすことはなかなか苦痛だ。
私は外ではしっかり働く。言われる前に動く。素早く動くことを心がけている。だが家では死ぬほどダラダラしたい。ボロ雑巾みたいな衣類を身につけて過ごしたい。
それが他人と住むとなるとできなくなる。義母が作ったご飯を頂く度に「わあ!おいしい」とリアクションをしなきゃいけないのかと思うと涙が出るほど嫌だった。
でも実際一緒に住むと驚くほど過ごしやすかった。
まず二階を自由に使わせてくれることになり、食事も夕飯だけ一緒にとるということで夕飯以外は二階にこもり死ぬほどダラダラ過ごしていた。
それでも義母から二年間で嫌味など1度も言われなかった。家事も1階の掃除や食事などたくさん率先してしてくれた。
外食に行けば支払いをしてくれることがほとんどだった。口数が少ない私たち夫婦の食卓を明るくしようとたくさん話題をふってくれた。
他人と住むゆえに発生する小さいストレスもないわけではなかった。
でも今は感謝の気持ちの方が大きい。
そして二年間もうひとり生活を共にしたものがいた。
ねこのくるみである。
動物と一緒に住むことが昔から夢だった。実家はマンションで飼うことができず、結婚を機に家を出たが夫の会社の謎社訓にペット厳禁とあり未だに夢は叶わないままだった。
ただ今回の同居先にはもともとくるちゃんがいたので動物と一緒に生活することが念願叶ったのである。
昔は人も他の猫のことも嫌いでしょっちゅうシャーシャー威嚇していたが、年をとって丸くなり膝の上に自ら乗ってくることもしょっちゅうだった。こたつを出せばこたつ布団の上からよく座りにきた。
言葉が通じなくてもそばにいてくれるだけで絶大な癒しを与えてくれた。
ちゃおちゅーるにがっつく姿も、うんちの前とうんち後いちいち大声で鳴いてお知らせしてくれることも、二階でこっそりおやつを食べようとしたらどこにいても駆けつけてくる姿も、人間のご飯のおこぼれをもらえると思って食卓をうろうろする姿も、食後機嫌が良くなってお腹を見せながらゴロゴロする姿も、こたつの中で全然丸くなくて伸びきって眠る姿も、あくびの口があききる前の顔も
早朝まだ寝ているのにわざと身体に勢いよく飛び乗って起こしにくるさまも、横になったら布団に入ってきて腕枕させてくれるところも全部全部愛おしい。
夫と二人で同じものを愛でるかけがえのなさを初めて知った。
夫もわたしがくるちゃんを可愛がることをとても喜んでくれた。
今回の引っ越しの荷造りの時もいつもと違う部屋の様子にずっとそわそわしていた。
引っ越しを前日に控えても全然荷造りが終わらず、朝方ものがたくさんのったソファで途方にくれていると、それまでせわしなく暴れていたくるちゃんはゆっくり近づきスッと横に座ってくれた。
こんなぐちゃっと丸まったバスタオルの上に座ったのだ。
作業はまだ続くのでなくなくソファをあとにすると
たたんであったこたつ布団にすぐ移動した。
居心地悪いのにわざわざ隣に来てくれたと思うと泣けた。
最後のお別れの時はいい年して「ふぇ〜ん」と言いながらくるちゃんのお腹に顔を埋めて泣いた。
くるちゃんはそのあと階段を登って行ってしまったので少し追いかけた。少し遠くで目が合うとお互いしばらく動かず見つめあっていた。おいでと手を伸ばすとこっちにちかづき頭を撫でさせてくれた。
くるちゃん。仲良くしてくれてありがとう。
この二年間地元の友達や家族と離れていても寂しさを忘れるくらい満たされていたと思う。
仮に動物と暮らせる環境になり、代償として長期旅行に行ったり長期で実家に帰ったりできなくなったとしても、きっとわたしは動物と暮らすことを選ぶと思う。
義母よりねこに対しての圧倒的に文字数よ。でも義母がちゃんとお世話をしていてくれたからこそこの二年間わたしも一緒に暮らせたのだ。
どちらにも、そしてねこが好きな夫にも感謝している。
あと明日からの役所や雇用保険関連の手続きだりーーーーー!!!!!