料理と私
料理が好きかと聞かれるとうまく答えられない。
食べることは間違い無く好きだが、料理は時に面倒臭さが勝つときがある。
私の母は今から思えばそんなに料理がうまかったわけではなかった。
それでも子供になんとか栄養を取らせようと味噌汁の具がやたら多かったり、ビタミンについてのうんちくを聞かされたりした。
ただ作った後母も一緒にテーブルを囲むことはほとんどなく、友人と電話をしたりなんやかんやしていたのでいつも妹と二人で食べていた。
当時は家で出てくるものが絶対であり、家庭料理とはこういうものだと思っていた。
大人になってあんまうまなかったな…。と気づいた次第である。
たまに今日はうまいなと思うものがあればそれを伝えると、それがしばらく毎日出てくるため
飽きてしばらく食べたくなくなるというサイクルだった。
数年後母はだんだんと料理をしなくなり、私が高校生のころ夕飯でなにを食べていたかよく覚えていない。母も仕事や自分の事情でいっぱいいっぱいだったのだ。
朝も仕事ぎりぎりまで寝ていたため、お弁当も作っていなかったので母の財布からお金を貰い昼食はよくコンビニで買っていた。
この当時友人に食事の準備が何もないことを伝えるととても驚かれた。育ちの良い子が多かったのである。「よくグレないね」と言われたこともあって笑ってしまった。
このころの家庭の環境はなかなかめちゃくちゃだったが、ご飯を作っていないというたった一つの事実を伝えただけでグレるグレないのワードがとびだしたことに笑ってしまった。
自分で作ればなんら問題なかったが、高校生のころの私は部活の朝練で朝早く登校し、帰りも21時を過ぎることが多く、とてもじゃないが自分で作ろうという気にはなれなかった。
食事以外にもたまる洗濯物、汚れた食器、ゴミ捨てなど家がぐちゃぐちゃな事に慣れすぎてひとつも動かなかった。
唯一動いたのは父だ。食器を洗っていた後ろ姿をうっすら覚えている。
単身赴任先から帰ってきて家でくつろぎたかったろうに、今から思えばかわいそうだったとも思う。ごめんな、トーチャン。
制服のブラウスや体操着など洗われていないと母に文句を言った記憶はあるが、それ以外に関しては文句を言った記憶がなかった。文句を言わなければ手伝いも全くしなかった。
私も汚家の住人になってしまっていた。
卒業後の進路を決める時期になっても私は将来なりたいものがよくわからなかった。
ただ通っていた高校は大学もくっついていたのでその学部の中から資格も取れて食いっぱぐれなさそうだからと栄養士免許が取れる学科に進んだ。
心のどっかでは栄養士の資格さえ取れば食事を作らないような人にはならないのではないかと思っていた。そんなわけないのに。
なんの手伝いもしなかったくせに母を反面教師にしてたのだ。
家事はできなくても父不在の家を不器用ながら守ってくれていたが、子供だった私には「大人のくせにちゃんとできない」ことに注目してしまっていた。ごめんなカーチャン。
言い聞かせるようにして入学した大学はみな食べることが好きな良い子たちばかりだった。
人数の少ない学科だったので行動はほとんどクラス単位という高校の延長のような授業形態だった。
飲み会をすることになれば出席率はかなりよかった。
乾杯のあとしばらく無言で全員が食べることに集中していた。お腹が満たされると話に花が咲くようなそんな子たちの集まりでかなり居心地が良かった。
だが実技試験で私は地獄を見ることになる。
りんごの皮を繋げて最後まで剥く試験があったのである。
包丁を握ったことのある人にはたやすいことだ。
当然私は包丁もほとんど握ってきていない。クラスメイトはさすがみんな慣れた手つきで皮を剥いていく。まん丸のつるんとしたりんごだ。
私はなんとか最後まで剥いたものの皮が何枚にもわかれ表面はボコボコでサッカーボールのようだった。恥ずかしかった。私だけができない。
これではまずいと思いバイトはもともとまかない目当てで飲食店だったので、ホールからキッチンになった。
これえ嫌でも仕込みで包丁を握ることになる。
しばらくすると、もともと大雑把なので切った食材の大きさに多少差はあるものの、サッカーボールりんごの時よりだいぶマシになった。
なにより作業として包丁は脳死できるので長時間していてもあまり苦ではなかった。
少し自信がついたあとは調理実習や実験もあまり苦ではなくなった。
みんなが気持ち悪いと触らなかった5キロの鰹を、率先して自ら節おろしというものをした。(この日以来鰹はおろしていないが)
結局バイトをとにかくしていた大学時代だったので家でご飯は作らないままだった。
結婚して家を出た。結婚しても仕事は続けていたが、帰りは夫より早いことがほとんどだったので、いよいよ自分で食事を作る日々が始まる。
バイトとはいえとりあえず包丁の使い方がわかったり、調理過程を効率よくする術も身についているので、全く作れないということはなく、今も一応食事の支度をしている。
しかも引っ越したばかりで現在また無職。仕事をしている時より圧倒的に体力も時間も有り余っている。
最近では「きのう何食べた?」を読み返してそこから献立を決めている。
義母との同居を経験した私にはこの家の台所に自由を感じる。
一人で使える台所がこんなにも心地よかったのかと実感すると、やっぱ同居向いてなかったなと思う。
心の余裕からか今のところ料理に面倒臭さを感じていない。今料理が好きかと聞かれたら「結構好き」と答えると思う。
明日は何を作ろうか。明日は松屋でカレーを食べるんだった。
外食もやっぱめっちゃ好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!
皿洗ってくれるの最高!!!!