大人だって、泣いたらいいよを読んで

表紙はイラストレーターのわかるさん

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昔からこの人のLINEスタンプを愛用していたので馴染みのある表紙だった。

わかるさんのツイートにより紫原さんがクロワッサンオンラインでお悩み相談の連載をしていることを知った。

 

エッセイは好きでよく読むが、対談形式のものやお悩み相談ものは読んでこなかった。

紫原さんの回答はとても鮮やかで、そんな切り口があったのかと驚いた。

面白い人を見つけると過去作まですぐ遡ってしまう癖のある私は、過去の記事を貪るようにして読んだ。

 

その連載が今回一冊の本になった。発売前からとても楽しみにしていた。

発売するにあたりTwitterで新しいお悩みを募集していて、私も紫原さんから回答してもらいたい。

その回答を自分の血肉にしたいという欲望がむくむく湧き、文章を考えてみたけれど自分の悩みをまとめることができず見送った。

 

この本のなかで「人に好きになってもらえない、モテるにはどうしたらよいか」という悩みに対して

紫原さんは「するべきことはただ一つ。相手の素敵なところを見つけて伝える」と回答していた。

なんてシンプル。

 

そこで本を読んで頭の引き出しが開きやすい私は思い出すことがあった。

相手の素敵なところを見つけて伝えるということは私もしていた時期があった。

私にとっての「素敵」は自分に持ってない発想や言葉の選び方を持っている人だったのでこういうことできてすごいねと伝えたり、その発想にいたるまでどういう背景がのその人にあるのか聞いたりしていた。

それがやっぱり自分の血肉になるような気がしたしとても面白かった。

でもある日すごいねと伝えた相手に

「普通の人はそんなふうに相手のことを直接褒めたりしない」とばさっと言われた。

だから貴重だねみたいに良いことばが続くことはなかった。

アニメ飛べ!イサミのオープニングテーマ冒頭よろしく鋭くいかれたわけ。

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https://youtu.be/m62L8nHb82g

ハートを磨くっきゃない、名曲だな。

 

鋭くなんて今だから言えることで当時はなんかもやぁとして「そっか。へへ…」とヘラヘラして自分からうやむやにしてしまったけど

この本を読んで、「普通じゃない」と批判されたような気になってその時実は傷ついていたことを知り、自分がしていたことを紫原さんは肯定して他者にもさらに勧めている…!と思い救われた。

救われると下向きな考えから解放される。「普通じゃない」とバッサリ言った子はもしかしたら思いもよらないところを褒められて恥ずかしくて咄嗟に出たことかもしれないみたいに違う角度から考えることができた。

本当のところどうだったかなんて今の私にはどうだってよくて、

自分が直接紫原さんに悩みを送らなくてもこういった形で自分の血肉になることを知った。

 

送られてきたお手紙を頼りにどんな相手かを想像して、寄り添い、相手の素敵なところを見つけて伝えるということは

全ての相手に紫原さんがしていることだった。

選択肢を複数提示する場合はどれを選んでもなんかハッピーになれそうな気がする回答もあれば

人間関係ってパワーゲームだからとキレッキレの真実を突きつけられたりもして

その緩急にぐっときてしまう。

 

お悩み相談の間に挟まれるエッセイはそんなとこまで見せちゃっていいの?!というエピソードがあって元気がもらえた。

私の尊敬する人は「損をするぐらいのつもりで書いたのではないかという本が、私を何度も勇気づけた」と言っていて

私にとってのこの本はそれに該当する気がした。(損をするつもりで全然なかったら大変申し訳ないのですが)

 

スマートな大人がふと無防備な言葉を口にするとほっとして愛おしく思うと紫原さんは言う。

それは無防備な言葉をこぼす側からすればとても安心する言葉だ。無防備をダッサと切り捨てず愛おしく思う精神は持っていきたい。

 

相談者ではない読者で救われた人は私以外にもたくさんいるはずだ。

とっておき

自分の中のとっておきのもの、自分の好きなジャンルごとそれぞれ存在する。

とくに小説漫画エッセイなど本にまつわるとっておきは、自分の琴線に深く深くぐっとくるものが多い。

 

エッセイのとっておき こだまさんの新刊「ずっとおしまいの地」を読む。

ある作家さんから本はあとがきから読むということを教えてもらったことを思い出し、私も今回はそれに倣ってみた。

 

フレッシュネスバーガーのことが書いてあった。

 

学生時代私はとある定食屋でバイトをしていた。大戸屋ではないその謎のチェーン店の定食屋は、フレッシュネスバーガーフランチャイズ店だった。

フレッシュネスバーガーの社員が集まる忘年会に来てほしいと当時の店長にお願いされ、

こんないい子たちが集まるバイトの中で自分が選ばれたのかと舞い上がり二つ返事でOKしたが、あとになってみんなに断られ最後に私に依頼が来たことを知った。

忘年会は渋谷で行われ、帰りの電車は終電。電車内で猛烈な尿意をもよおし、どうしても我慢できず、自分の最寄駅二つ手前で降り用を足した。その駅は店長の最寄駅でもあった。

「反対側のホームにこの駅トイレあるから」教えてくれて、店長は人ごみの中に消えていった。

当然電車はもうなく、タクシーで家まで帰ったことをよく覚えている。

 

こだまさんの本を読むと不思議と感想や、読んで思い出した自分の出来事を書いてみたくなり、それを実行してしまう不思議な力がある。

 

そして今回もたまに訪れる、目は文章を追っているはずなのに脳は自分と重なる出来事を追体験している謎現象が起こった。

ピカチュウの凧というこだまさんが飼い猫亡くしたあとの話を読んでいたときがそうだった。

一度読んだことがあるはずなのに涙も鼻水も止まらなかった。自分が一緒に住んでいた猫を亡くした時期と近かったのもあるかもしれない。

脳が全然違うことを考えていたので改めてもう一度読もうと思う。

こういう体験ができるからとっておきなんだよなと改めて思う。

 

余談だか中盤で出てくる日記の六月某日「死を包む」に共感しすぎてそうそうそうそう!!!!としか思えなかった。

私も同じ言葉を人からかけてもらい、その時は違和感を感じる程度だったがきちんと言葉にしてもらえてとても腑におちた。

本当にありがとうございます。

 

作品の構成も素晴らしかっです。

私は中盤の日記を後日談と捉えたので、スピンオフを読んでいるような気分で楽しく読みました。

 

表紙もすごくいい。

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鳥の顔面かわいすぎる。

 

 

 

冒頭で「エッセイを通して過去の自分に何度も救われている」という文章がとても素敵でした。

いつか私も過去の自分に救われたと思う日が来ればこんなに嬉しくて、自分を赦せると実感できることは他にないと思います。

そしてあとがきの最後に 令和四年八月 こだま という表記をみたときに同じ時をこうして生きているんだなと改めて実感できて嬉しかった。

なんか「推し」がいる人みたいなこと書いちゃったなあと思ってしまったけど、こだまさんはもう私の推しなんですねきっと。

 

これからもどうか健やかで書き続けてほしい、私のとっておきの作家さんがこだまさんです。

 

 

「ボーーっとして!!」

GWにコジコジ万博へ行ってからさくらももこへの熱がいまだに冷めない。

家に帰ってからコジコジ3巻と初期エッセイ三部作とまる子だった日々の三部作を一気に購入した。

全部読んだことがあるが、今住んでいる家には「神のちから」以外の作品はなかった。

 

ちびまる子ちゃんの町、静岡県清水市で私も幼少期を過ごし、いつも怒ってる母親、我かんせずな父親、2人姉妹であることなど

共通点は多い。

エッセイを読むとまる子の母はいつも怒っている。

私の母もよく怒っていた。

「あんたはいっつもボーーっとして!」と何度も怒られた。

そうか、私はボーッとしていたのかとその時初めて気づく。

 

物心ついたころから、宇宙におもいを馳せ、大地震が来たらどうしようと不安な妄想をしては怖がり、

好きな漫画にこんなキャラがいたらと頭のなかで二次創作の連載をするなどに勤しんでいた。

アニメで二次創作をする場合は頭の中で声優の声も忠実に再現していた。

「心の声」はなぜこんなにも自在にいろいろな声をだせるのだろうと不思議に思い、

友達に「心の声ってモノマネめっちゃうまくない?」と突然聞いて困惑させたことがあった。

現実と妄想の境界線がまだ曖昧なくらい幼い時からいろいろな考えを頭の中に巡らせていた。

変な子供だった。

 

基本的にそれらを誰かに話すわけでもなく黙々と脳みそを動かし続けていたら

はたから見ればボーーっとしてと思われるのは当然だった。母は見たままの通りを言っただけのことだった。

 

母の言うことを鵜呑みにし、自分はボーーっととしている人間だと思い続けていたが、

大人になりそれは母視点の話であり、私自身はいつも何かを考えるのに忙しかったんだと気づいた。

答えに辿り着けない何かをいつも考えている。通勤中も、仕事のときも、お風呂のときも、寝る前も。

仕事のときは仕事のことだけをもう少し考えるようになればミスが減るのに。

 

今日も答えに辿り着けないことをぐるぐると考えてしまった。

 

毎週「週刊SPA!」で連載されている「犬々ワンダーランド」を楽しみにしている。

保護犬に関することのエッセイ漫画で先月から動物の保護活動をしている人がとりあげられていた。

 

世の中には悪質な保護団体もいて、安く引き取り転売するために、劣悪な環境に動物たちを置く団体がいる。

自分達が知らないところでもかわいそうな子がたくさんいる。

魔法が使えたらいっそのことこの世から動物を消してしまいたいと作中でその人は語っていた。

 

すごく驚いてしまった。

重く極端な言葉に驚いたのではない。

取材をうけていた方はきっと動物に対して真剣に向き合っている人だから極端な表現になったんだと思う。

でも消えるべきなのは動物ではなく人間のほうでは…?という気持ちで私はいっぱいになってしまった。

消す対象が真逆だったことに驚いてしまったのだ。

 

いやでも自分あっての人生だし、この人はずっと真っ当なことをされてるから自分も含む人間が消える必要はないか…

いやでも劣悪な環境そのものを作ってるの人間だよな…など答えが出ないことをもんもんと考える時間が続いた。

自分の意見と逆側の人の立場まで考え出したらそりゃ答えなんて出ないのよ。

そもそも「魔法が使えたら」という枕詞の内容に考えを巡らせるのは不毛なことだろうか。

私はそうは思わない。何にでも意味を見出したい人間だから。

運命とか縁って言葉大好き。

 

とかいろいろ考えてるけど、はたからみたら今日もボーーっとしている。

 

おたこぴー

twitterで「ウクライナ」と「タコピー」を数時間おきに交互に検索してしまう。戦争はすごく嫌だと思っている。

 

 

ジャンプ+で連載されている「タコピーの原罪」がすごく面白くて毎週の更新を楽しみにしている。

先週夫への布教も成功したので、今日の更新曜日の金曜0時になった瞬間「おたこぷーが読めるぞ」と夫の方から言ってきてニンマリした。

 

タコピーの何が面白いかは読んだらわかるのですぐ読んでほしい。

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496638370192

そしてtwitterの住人の考察もまた楽しく読んでいる。

 

タコピーのフォルムを思い浮かべたとき子供の時に買ったくる「くるくるみそちゃ」という漫画を思い出した。

再読したくなって電子書籍で購入した。二十数年ぶりの再読だ。

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みそちゃはまん中の女の子の頭の上で茶を啜っている茶色い鳥だ。

全然タコぴーと違うな。丸いとこしか共通点なかった。

 

くるくるみそちゃとの出会いはバザー。わたしが通っていた小学校では年に一度リサイクルバザーがあった。当時はフリーマーケットなんて言葉なかったと思う。

自宅から売りたいものをなんでも持ってきてよかった。通貨はベルマーク。

子供の頃から漫画は大好きだったが、著者のすもと亜夢先生のことは全く存じ上げてなかった。

なんか表紙が可愛いしくらいのノリのジャケ買いだった。

主人公の女の子が脱サラした父に連れられ田舎で暮らすことになり、ヘンテコな動物と仲良くなるギャグ漫画だ。

くるくるみそちゃというタイトルなのに女の子の海子の方がキャラが強くて、小鳥のみそちゃはツッコんでばっかだ。

ギャグ漫画のタイトルになるキャラクターって基本ボケなんじゃないんか?

セクシーコマンドー外伝すごいよ!!マサルさん

ピューと吹く!ジャガー

「るみちゃんの事象」

「スナック鳥男」

クレヨンしんちゃん

ほ〜〜〜らね

 

くるくるみそちゃは大人になって読んでもやっぱり絵は可愛かったし、ギャグのテンポ感も大好きだった。

ヘンテコな動物のことは今も大好きだ。

 

最近漫画、エッセイ、小説、映画等自分の好きな娯楽に触れると泣いてしまうことが多く、泣くだけならまだいいが

年を重ねて体力がないのか、泣いた後「ああよかったな」と思うより「消耗した」と疲労を感じることが増えた。すぐぐったりして横になってしまう。

なぜなのか。

ぐったりしたくない今のわたしには「くるくるみそちゃ」が心地いい。

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へたれないタオル

今では全く使うことがなくなったが、栄養士の資格が取れる大学に通っていた。

就活のとき希望していた食品会社は全て不採用で、委託栄養士の会社員になった。

 

初めて配属されたのは中規模の老人ホームだった。三食プラスおやつを提供する仕事に関わることになる。

社員は私と上司だけであとはパートさんで回していた。

パートさんの関口さんはわたしのちょうど20歳上の人で、給食用のかっぽう着を身につけ、マスクをして帽子を被っていても、洗練された上品さが出ている人だった。

 

この現場は調理業務と栄養士業務で作業がわかれており、関口さんから栄養士業務を教わった。

とにかく手作業が早い人だったが説明は丁寧で、なにより社会人一年目のわたしを立ててくれる人だった。

関口さんがクセが強い関口さんよりずっと年上のパートさんから理不尽なことを言われても、

「余計なことは言わないって決めているの」とこっそり教えてくれたこともあった。

社会に出てからの大人を目の当たりにした瞬間だったように思う。

きっと社会生活でたくさんの経験をして生き延びた術をひとつ見せてもらった気がした。

 

わたしが社会人のお手本にしていた関口さんもチャーミングなところがあった。

今年の自分のクリスマスプレゼントはずっと目をつけてたブーツを買うのとにこにこしていた時や、

年末は家族でガキ使を見ながら過ごすのがとても楽しみと教えてくれた時

とても意外だったけど関口さんのことがもっと好きになった。

余計なことは言わない主義だけど、自分の意思をしっかり持っていて

どんなものが好きでどんなものが許せないかわたしに教えてくれた。

こんな経験をしてこう思ってこういう行動をしたということをたくさん教えてくれた。

社会にでて初めて身近に関わった人が関口さんで本当によかったと思う。

 

配属されて1年半後にわたしの結婚が決まり、現場から離れることになった。

社員として嫁ぎ先の近くの店舗の配属が決まっていた。

「あなたならどこにいってもやっていけるわよ」言われ小さい包みをいただいた。

とても嬉しい言葉だった。

開けるとかわいいFEILERのタオルとメッセージカードが入っていて

「どんなに洗濯してもへたれないタオルです。がんばってね」と書いてあった。

 

あれから10年以上経つけど、いただいたタオルはまだ使っているし、

あなたならどこにいってもやっていけるともらった言葉はわたしのなかでまだ力になっている。

 

 

 

 

 

僕のマリ「常識のない喫茶店」を読んで

かねてより楽しみにしていた僕のマリさんの「常識のない喫茶店」をやっと手に取ることができた。

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私は著者の数年前からのファンで、活動の感想をTwitterのDMで何度か勝手に送っていたくらい好きだったので、今回の商業誌デビューは本当に嬉しかった。

著者も装画も帯の作家も全員好きだった。この三拍子が全員好きだった本はいまだに出会ったことがない。

 

読み進めていて、ああ、私の足りないところをたくさん持っている人だと思った。

著者の働いている喫茶店での出来事が胸に刺さってばっかりだ。

私には間違っている奴に「ノーと言える胆力」も「マスクの下で歯を剥き出しに」して威嚇することもできない。したいと気づいたことですらつい最近のことをこの人はやってのけている。

作中にあった「少しの勇気でストレス要因を排除できるのであれば、はっきりと拒否した方がいい」という表現に鼓舞された。と同時に「君には勇気が足りないね」と言った友人のことを思い出す。悔しくてその時は認められなかった気がするけど貴方が言ったことはきっと正しかったと思う。

 

この本の中には誰かを好きな理由と嫌いな理由であふれている。こうまではっきり書かれた本には出会ったことがなかった。

デビューする前から知っていたという贔屓目(えらそうでごみんなさい)を抜きにしても、著書の正義には共感できるものがあったし、願わくば私も同じ職場で彼女が先輩にいてくれる人生だったら

今よりももう少し自分で自分のことを傷つける人生でなかったかもしれないと思い読んでいて涙がとまらなかった。

「この世は狂っている」と堂々と言う著者のことが好きだ。

たべっこどうぶつが好きなところも好き。

わたしの家飲みののおともはいつもたべっこどうぶつだから。

 

 

後半の大好きな先輩たちが卒業していく話も、自分がなんで泣いてるかもわからなくなってしまうくらい泣いてしまった。

目は文章を追っているはずなのに、脳は自分の経験が共鳴するそのときの出来事を思い出している。

自分の心の中の引き出しを開けてくれることがまれにあるからエッセイを読むことをやめることができない。

人生に飽きてしまって早く死にたいと私に告げる友人が定期的に生きてる意味を聞いてくることがある。

うまく答えられなくて悔しかったり共感しすぎて悲しかったり今も答えられなくて辛いなと思うことがあるけど、この本を読んで私はこういう経験がしたくて生きているといえる気がした。

 

最後に著書の中でとくによかったワードをピックアップしてみる。

読んだ人にしかわからないあれだけど、共感してくれた人とはすぐ友達になれる気がする。

•歯がいっぱい出てきた

•ありがとう、きんたまをイメージして作っています

•毎晩風呂で200回ジャンプをしている

•心に虎を飼う

•インターネットの海を揺蕩ってる(たゆたってる)

•伝票にログイン時間

•なめられるな、愚痴は溜めるな

 

なんか面白い本ない?と聞かれたら私はこの本を一番最初に推す。

そんなことを聞いてくれる友達を作るところから始めなければいけないが。

ねこへのきもち

2017年から二年間一緒に暮らしていたねこのくるみ。

2019年に夫の転勤が決まり、夫の実家から引っ越すことに。

そのときのお別れの記事

https://namidamenoo.hatenablog.com/entry/2019/04/08/013919

 

今回は本当のお別れの記事。6月10日に亡くなってしまった。その時の気持ちを忘れたくないから日記を書こうと思う。

 

6月5日(土)

夫の実家の近くのサウナ施設に泊まる用があったのでくるちゃんにも会う。

お風呂にいれたのにうんちの臭いがただよっていた。よくみるとお尻が膿んでいたので病院に連れて行く。

注射をうってもらい様子をみることに。診察券を受け取り忘れた。次回お世話になるまで預かってもらうことにした。

 

6月6日(日)

お尻の膿はすっかりきえていた。

注射が効いたようだ。

抱っこをしたら普段はすぐ身体をねじって腕から逃げていくのに、めずらしくずっとじっとしていた。

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これが最後の抱っこだった。

小さくてあたたかくてかわいい。背骨がこつこつする。

またねと言って実家をあとにする。

 

6月10日(木)

昼休憩中、夫から電話していい?とラインが来る。

まさかと思いすこし覚悟して夫に電話をする。くるちゃんが亡くなったと聞く。

急死だったようだ。翌日午後休みをもらってすぐかけつけようとはなしあった。

残りの休憩時間涙がこぼれないように必死でがまんしたけどどうしても出てしまう。

「涙 我慢 方法」で検索をかけてたくさん試したけど全部効かなかった。

上司に「夫の実家のねこちゃんが死んじゃったので明日半休ください」と伝えると

「はあ?」という顔をされ実際に「はあ…」とふわっとした返事をされた。

そういえばこの人は「私絶対動物飼えない〜無理無理」と言っていたなと思い出す。

ばーかばかばかうんち!と心の中で悪態をつく。

 

やっと仕事を終えて、外に出た瞬間涙がとまらなかった。

泣く時は嗚咽系のわたしだが、この時は声を抑えることができず、かなり大きな声で呻いていた。

駐車場まで歩く時も車に乗ってからも運転中もずっと泣いた。

マスクをしながら泣くと濡れた部分が肌に当たってかなり気持ち悪いと知る。

 

よりによってこの日は美容院の予約をいれていた。

キャンセルも考えたが、行くことを決める。

予約の時間まで二時間空きがあった。家で何もしてないと泣いてしまう。

わたしは泣くとまぶたがめちゃくちゃ腫れるのでこれ以上泣き続けるのは避けたかった。

没頭が嫌なことを忘れさせてくれるとオードリーの若林が言っていたことを思い出す。

わたしの一番好きな芸人だ。

ひさびさにスプラトゥーンをやった。本当に勝って嬉しい、負けて悔しいしか頭になく涙はとまっていた。わたしにしてはかなりめずらしい14キルを叩き出し何かが覚醒している気がした。

 

美容院に行く間もちょっと泣いたりしたが、到着後は普段通りでいれた。

シャンプー台に促され、席を倒されガーゼを顔に乗せられる。

そのガーゼが猫シャンプーと同じ匂いがして、洗髪されながらこっそり泣いた。

くるちゃんもシャンプーされているときよく鳴いてたな。普段ほとんど鳴かないのに。

余談だが今回も写真で見せた希望の髪型と違った。

「切りっぱなしボブをお願いします」と伝えたら、完成時「切りっぱなし風ボブできました」と言われ笑いそうになった。風って便利だな。

 

6月11日(金)

午前中の仕事を終えて、夫とともに実家へ向かう。

火葬は土曜日なので亡骸くるちゃんはまだ家にいる。家に入る前すごく緊張した。

どんな格好でどんな状態で亡骸くるちゃんはいるのだろう。

亡骸くるちゃんは箱の中にいた。黒いタオルの上に横たわったくるちゃん。

その上に黒いタオルがかけられお花が置いてあった。

タオルをそっとめくると先週抱っこしたときと同じサイズのくるちゃんがそこにいた。

瞬きをしないのと冷たくなっている事しか違いはない。

正直死んじゃったくるちゃんと対面するのは怖かったが、実際に会うと亡骸になってもかわいくて愛おしいと思う自分に驚いた。

身体や頭を撫でてしばらく見つめながら泣いた。

ふとかけられたタオルが見覚えのあるものだなと気づく。

わたしがこの家に忘れていたKen Bandのライブで買ったタオルだった。

よりによってFUCK KENとプリントされている。

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黒かったからという理由でチョイスした義母おもろ。

よくみたら下に敷かれたタオルはわたしが初めて行ったBUMPのライブで買ったRUN RABBIT RUNのツアータオルだった。こっちもバンドタオルかい。

 

時間が空いたので、動物病院に忘れてしまった診察券を取りに行くことにした。

受付の女性にくるちゃんが亡くなったことを告げるとわざわざ獣医の先生二人を呼んでくれて挨拶をしてくれた。

とても驚いていた。それだけ突然の死だった。

診察券を忘れていなかったらきっとできなかった挨拶だ。今までお世話になったこと、感謝を伝えることができてよかった。

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この「くるみちゃん S 」という文字見る度に笑ってしまう。かわいい。

 

赤ちゃんくるちゃんをペットショップで買ってきた義理姉も駆けつけ、夜はみんなで酒を飲みながらくるちゃんの画像や動画を見ながら過ごした。

わたし、夫、義理姉、姪っ子はとくにくるちゃんが好きな一族で、スマホのホーム画面が全員くるちゃんだったと知った時みんなで笑ったことを思い出した。

 

今夜からはこの家で寝ていてもくるちゃんはやってこない。

腕の中で寝てくれるけど短い時間でどっかいちゃって、本気で寝る時はいつも脚の上だった。

寝苦しいけど幸せだったあの時が二度とないと思うと寂しかった。

亡骸を見てもまだまだ実感がわかない夜だった。

 

6月12日(土)

火葬場は山の上の静かな場所で、中はとてもきれいなところだった。


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お葬式的なこともしてくれてみんなでたくさん泣いた。

こだまさんにプレゼントした竹細工のまたたび入りのおもちゃはくるちゃんもお気に入りだったので、一緒に火葬してもらった。あとBUMPのタオルも一緒にお空へ行った。

火葬が終わり骨になったくるちゃんはめちゃくちゃかわいくて、骨になってもこんなにかわいいとんでもないねこだと思った。

骨をかわいいと思う日が来るなんて思わなかった。

分骨などはせずに骨は全部共同墓地に置いてきた。また来ます。

 

お昼をみんなで食べた後我々夫婦は帰宅した。

家についてから夫はとても気落ちしていた。何度もため息をつき「つらい」と呟いていた。

赤ちゃんのときのくるちゃん、出産したくるちゃん、母になったくるちゃんなどわたしよりずっと長くくるちゃんを知っているのだから無理もなかった。

亡くなる前の週に病院に連れていったりお風呂にいれたことが負担になっていたかもしれないと悔いていた。

わたしは病院にいかなかったら苦しんでた時間が長かったかもしれないよと伝えた。義母が介護できるとも思えなかった。

お風呂に入ったからきれいな身体で火葬もできた。悔いることはひとつもないはずだ。

 

次の日もその次の日も夫の家でのため息と「つらい」発言は止まらなかった。

義父さんが死んだ時より落ち込んでるねと伝えるとそうかなと力なく笑っていた。

愛情を注がれるより、注いでいる時のほうがその対象がいなくなってしまうと辛いのかもしれないと知る。

そういえば「大豆田とわ子と三人の元夫」でも愛されるより愛する方が人生は楽しいみたいなこと言っていた気がする。

こんなに落ち込んでいる夫は見たことなかった。これはわたしまでめそめそしてる場合じゃない。なるべくいつも通り過ごすぞと切り替えると不思議と泣くことは無くなった。

特に無理をしているわけじゃない。むしろ何かが軽くなっているのがわかった。火葬という儀式の力もあったのかもしれない。

 

6月16日(水)

夢にくるちゃんが出てきた。見知らぬ室内にくるちゃんの亡骸があって。ちょっと目を離してまた亡骸をみるとオッドアイになって生き返っていた。夢だからこれがくるちゃんなようでそうじゃないようなふわふわした概念だったけど、生き返ったねこにはとりあえず水!!と思って水をあげるとめちゃくちゃ勢いよく飲んで、毛がどんどん艶々になって活発に動き出した。突然ねこは自動ドアのほうへ走り出し、小さくて軽いくせにセンサーが働いてドアが開いた。外に出たくるちゃんかもしれないねこは女子高生になっていた。女子高生になっても走るのをやめなかった。もうこれは逃げられるなと覚悟を決めてわたしは大きい声で「そっちがいいのーーーー?」と呼びかけた。すると女子高生は「外がいいーーーー!!!」とこちらを見向きもせず声を張り上げ、人混みの中に消えていった。ここで目が覚めた。めちゃくちゃおてんばそうな女子高生だったな。かわいいな。そんなことぼんやり考えたいたら朝の支度が遅れて遅刻しそうになった。

 

身内が亡くなると初七日までの間にいつも夢に出てきてくれる。くるちゃんも例外じゃなかった。

15歳まで生きたくるちゃんはちょうど女子高生の年齢だし、窓から外を眺めるのが好きだった。夢に出てきたあの子はきっとくるちゃんだ。

 

夜、夫に散歩の引率してと頼まれ一緒に歩いてコンビニへ行く。引率される側が一人の場合これは引率と呼べるのだろうかと考えながら歩いた。

散歩をしてからだんだんため息が減ってきた。よかった。

 

6月20日(日)

翌日に夫は実家の近くで仕事があるため前のりしていた。実家に顔を出した夫からラインがきた。

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くるちゃんは靴棚に入るのが好きだった。

我々が実家に帰った時靴棚からぬっと出てきて迎えてくれたこともあった。

靴棚の中でどんな風に過ごしていたか知らないけど、想像したら泣いてしまった。

久しぶりにくるちゃんのことで泣いた気がした。

 

 

自分のテリトリーに急に入ってきたわたしをすんなり受け入れてくれたくるちゃん。一緒に住み始める初日から膝の上に乗ってくれましたね。一緒に住んでいた時、私が仕事から帰ってきて2階へあがると必ずついてきてこたつで一緒に過ごしましたね。ファミチキを買って帰った日は野性味が増すので食べるのが大変でした。夏はひんやりシーツの上でよく一緒に昼寝をしましたね。ネトゲをしているとキーボードの上でわざとごろごろしたり踏んづけたりするので結果チャットをうっていましたね。「今のはねこがやりました」とあとでフォローするの結構オイシイなと思っていました。

知らない猫のことはシャーと威嚇するのに、知らない人間にはなつっこいへんなねこ。お坊さんが好きなへんなねこ。

へんなとこも大好き。仲良くしてくれてありがとう。

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