けんちゃんの感想
思い浮かべることって楽し~~い。
妄想想像は言わずもがな、お菓子のパッケージやこの芸人はどこの事務所所属かとか。思い浮かべたことが正解かどうかはあまり重要じゃない。ただ思い浮かべるだけで楽しいのだ。
短編連作は長編のものより思い浮かべる像の輪郭がクッキリするところが好きだ。
例えば1章の主人公が飲食店の店員で接客をする話で、2章はそのときの客が主人公になる。読んでいる私はすでに1章でその客のことを知っているので、2章の主人公=1章のあの客と認識した瞬間がなんか好きだ。一種の伏線回収なのかもしれない。

この「けんちゃん」という作品は、けんちゃんが主人公なのではなく、章ごとにけんちゃんに関わる4人の登場人物の主観で物語は進む。それぞれ同じ時期の話だが、物語冒頭時点で4人はお互いのことを基本的に知らない他人だ。
その4人がけんちゃんと関わることでだんだん近づく様子を見ているとわくわくする。
けんちゃんが怒ったり機嫌を損ねるシーンがある。直後その様子を野うさぎに例えたり、けんちゃんのシクラメンを持つ手の慎重さ描写するなど、一見ネガティブなことが起こった気がするけどユーモアでさっとくるむ感じは、こだまさんのエッセイを読んでいるときと同じような印象を受けた。主観の人物がけんちゃんを好ましく思っているんだろうなと伝わる。
直感的に好ましく思ったのは読者の私も同じだった。
先入観にとらわれたくなかったため、発売前に公開されていた試し読みに目を通さず、けんちゃんの公式Xアカウントもフォローしなかった。
けんちゃんがスススッと初登場した瞬間になぜか好きになる予感がした。漫画ならよくあることだが、小説のキャラクターに好きになる予感がしたことは初めてかもしれない。私がオノマトペを好きだからだろうか。
章ごとに主人公が変わるということは、短い話の中で主人公がどんな人なのか伝えなければいけない。どんな性格でどんな環境だったかなど、情報の出し方が巧みで引き付けられた。各章それぞれ面白かったんだけど、4人のうち2人が同級生だったと明かされるシーンがある。その前の段階でつながりがあったことがわかるのだが、ここが全然予想できなくて驚いた。各章がぐるっとひとつの円でつながったようだった。こだまさんミステリーも書けちゃうんじゃないかな。書いて~~~。
最後の章でけんちゃんがいなくなってしまったとき、1章主人公の多田野が自転車で探しに行くシーンも好きだ。短い文が続き、必死でペダルをこいでいることが伝わる。このとき自分が自転車をこいでるような気もしたし、自転車をこぐ多田野の左側を至近距離で追っているような気にもなった。読書って主観と客観を同時に味わえる不思議な体験ができるところがいいとこだよね~。
あとデザインで気が付いたのが、文字フォントがなんか他の小説より太いなと気づく。もしかしてと思ってデビュー作の夫のちんぽが入らないも確認したら、同じようにちょっと太い気がする。扶桑社の本ってみんなそうなのだろうか?我が家に小説は文庫しかなく、他と比較して確認できなかった。ちょうど図書館で借りているのもエッセイやノンフィクションばかりだ。ちょっと太いと手書き感が出てそういえばこだまさん書道教室通ってたよなァなんてことを思い出した。
1月22日の池袋ジュンク堂のイベントに参加し、久々にこだまさんに会えた時は嬉しかった。以前、夫のちんぽ発売後のイベントで「次回作は?」という質問に「けんちゃんについての小説を書こうと思っている」という回答にすごく心が躍ったのがついこの前のことみたいだ。
発売本当におめでとうございます!!たくさん売れますようにと願いをこめての感想でした。
3ヶ月後にはわすれていそうなこと
静岡と神奈川で育って実家を出たのち山形と宮城で14年間過ごした。
先月から東京に住むことになって首都圏に戻ってきたけどまだ全然なじんでいない。
あと3ヶ月もすれば忘れてしまいそうな感覚をちょっとメモ的に残しておこうと思う。
・歩行者が多い
→電車あるもんね、車社会とはそら違うよね
・自転車が多い
→後ろからビュンってくるチャリに何度もぶつかりそうになっている
・歩いていると突然下水や生ごみの臭いがする
→飲食店とかゴミ捨て場があるわけじゃないのに突然の「プ〜ン」に戸惑う
・まじでマンションが多い
→この道の表にも一本路地入ったところにもずっとマンション並んでて何人住んでんだよといつも新鮮に思う
・30分歩くと2駅分は歩ける
→山形いた時代の最寄り駅までと同じ時間歩いて二駅なのおもろ
・ハンズフリーで電話してる人しかいない
→もうもしもしスタイルやめたんか?
・信号が青になったのにスマホみてて気づかない人多すぎ
→これが一番びっくりしたかも。まじで多い
・繁盛商店街とシャッター商店街の落差が大きい
→最寄り駅は半分がシャッターしまっる商店街
・でも意外とたばこ屋さんが田舎より営業している
→山形では永久にシャッター閉じたままなのに都会はどこも営業している
・小松菜が苦い
→これまじでなんで?排気ガスとかそういうこと?
田舎ならハロワで仕事探すだけでオールオッケーだったのに
都会は選択肢がありすぎてイヤッて心のちいかわが出てきて毎日鼻くそほじってる。
働きたくねえな〜ーー〜
映画ドラえもんのび太の絵世界物語 感想
今回のドラ映画の評判がえらいよかったので、今月中に使わなきゃならないチケットを使いたかったのもあって観てきた。
どえらいどえらいいい映画だった。おいおい泣いた。ネタバレとか気にせず思ったことをとにかく書きたくなったので書く。
・特典が漫画なのがうれしい

特典なにもチェックしてなかったのでとてもうれしい。
名作まんがセレクションということで、映画に登場したひみつ道具が載ってる原作を収録してくれている。

写真じゃ伝わらないかもだけどコミックスとは別の紙を使ってて、それが自分が子供の時買ってたりぼんなどの月刊誌を思いだす素材でうれしい。
・オープニングでムンクやミュシャ、葛飾北斎など有名絵画とのコラボ
私でも見たことある超有名絵画とドラえもんのキャラクターたちがコラボするオープニングでぶち上がる。絵を見ることが好きでたまに美術館に行くが、歴史や作者について詳しくはほとんどわからないし調べもしない。美大生漫画のブルーピリオドは毎月楽しみにしている。こんな感じで知識もなんもないが、なんとなく好きというだけで、見たことある絵の中にドラえもんたちが入り込むとこんなにも嬉しい。キャラクターのタッチもそれぞれの絵に寄せられてて見ごたえがある。何度でもみたいオープニングだった。
・異文化を素直に受け止めるのび太
13世紀のヨーロッパが舞台のため、私たちが絵の具と聞いて想像するチューブのものはまだ存在していない。この世界で出会った絵師志望のマイロが絵を描いている途中に卵を割り、興味津々で「お腹すいたの?」と聞くのび太。マイロは笑って「違うよ」と答え、色のついた粉と卵黄を混ぜた。これがこの時代の絵の具だった。私は思わず食べ物使うのか…とウゲゲ的なノリで見てしまっていたが、のび太はそうなんだーとそれ以上の興味は示していなかった。お腹すいたの?ってさっき食いついていた興味はもうどこにもなく、異文化を即受け入れていた。ああのび太って確かにいつも相手をものすごい速さで受け入れるから、映画のオリキャラはみんなのび太に心を開くんだよなと改めて気づく。その素直さが眩しくて涙がずっと止まらなかった。
・「いい絵とは何か?」の問いとその答え
この映画のテーマでいい絵とは?があった。映画冒頭に夏休みの宿題でパパの絵を描いたのび太は、上手く描けないと絵を投げ出す。その後に絵の上手なマイロに出会い、どうやったら上手く描けるか問う。「上手い下手は重要じゃなくて、大好きな人を大好きって気持ちをこめて描けばいいよ」とアドバイスを聞いて半信半疑なのび太。でも迷わず青のクレヨンを手に取ったのび太を見た瞬間号泣してしまった。描く前からドラえもんを描くことがわかったからだ。この時点ではまだ上手くかけるほうがきっといいって思ってたかもしれない。でもドラえもんすぐ描くじゃん、おまえ〜〜で咽び泣く。またのび太の描いたドラえもんのへたかわいさが絶妙でかなり愛おしいので刮目した。いい絵とは何か?の答えがラスボスを倒すことに繋がっているような気もした。
今回のメインひみつ道具であるはいりこみライトを使って、のび太が描いたへたっぴドラえもんと邂逅するシーンがある。言葉もちゃんと話せないし、タケコプターはぐにゃぐにゃ。でも可愛くて涙が出る。会えてよかったねってこちらは感動しているのに、当の本人たちはそんなに感動していない。「ボクが描いたから下手であたりまえだよね」なんてのび太はヘラヘラしている。それをまるっと含めてとてもいいシーンだった。このシーン、ラスボスと戦いの真っ最中の出来事なんだけど、絵師のマイロがラスボスの攻撃から必死に絵を守ってくれてるからこそ成立していた。他者が描いた絵も命懸けで守るいいやつマイロ…
・エンディングでパパがのび太のへたっぴな絵を褒める
映画を観る前にたまたまこのツイから漫画を読んでいて、パパが画家志望なことを知る。
https://x.com/doraemonchannel/status/1901060849596305545?s=61&t=66zF-hGbgYK-4CWKiHTV2Q
ラストになんやかんやあってテレビに映ったのび太のへたっぴドラえもんの絵をパパが褒める。テレビに出てる専門家らしき人物は「価値がないですねえ」なんてバカにしてる感じなのに、パパはのび太が描いたとは知らずに、「大好きな絵が伝わるいい絵だね」と言う。原作漫画の方では、のび太がパパが描いたとは知らずにパパの絵を選ぶシーンとリンクする。ちょっと泣きすぎてて映画でのび太がどんなリアクションだったわからないけど、冒頭とは違う気持ちで夏休みの宿題の絵に取り組めていたらいいなと思う。
いい絵とは何かについてのび太より映画を観た人たちの方が刺さっていそうなのがちょっと面白かった。
大人はもちろんそうだけど、世の中のたくさんの子供たちに伝わってくれればいいなと思う。
あとBGMがかなりよかったので映画館で観ることをおすすめします。へたっぴドラえもんが出てくるシーンのBGMもかなりかわいい。
今回の監督が寺本幸代さんはひみつ道具博物館も担当していたのでそっちも観よう。
あったらいいのにな
雪は基本嫌いだ。雪のせいで日課にしたいラジオを聞きながら散歩が全然できなくなる。雪の良い所はひとつ、動物の足跡がくっきり見える所しかない。雪国に住み始めた当初は雪かきが本当に嫌いで、このくらいならしなくても大丈夫と言い聞かせてやり過ごしていた。駐車場は荒れどんどん車が停めにくくなった。普段より早く起きて出勤直前に車の雪をはらう作業も本当に嫌だ。寒い冬は早起きがしんどい。
しかし数年前に雪かきのことを「雪の教育」や「雪にわからせてやる」と我が家で言い始めるようになると雪かきが嫌な気持ちがスッとなくなった。なぜ。雪かきも掃除の一種でまめにやる方が楽だ。仕事中も帰ったらわからせてやるからな、と雪かきのことばかり考える。散歩ができない分雪かきをして運動をしたことにすると精神状態も良くなる気がした。雪国に住んでいるとはいえ、超豪雪地帯ではないので毎日教育の必要があるわけではない。だから雪が常に積もっている5メートル四方の土地があったらいいのにな。なるべく毎日教育したいけど身体がしんどい日もときにはあるだろうから積もりすぎても誰にも迷惑のかけない立地でかつ我が家からも近い土地。雪の質はあまり水分を含んでいないふわっとしたものだといいな。いろんな動物が足跡をつけてくれるとなお良いんだよな。
記憶を食むを読んでからの挙手

著者僕のマリの記憶を食むを読んだ。
裏表紙のこの犬最高。

食に関するエッセイをまとめたものでありながら味わいよりもその時の気分や記憶に重心があったように思う。そこがすごく好きだと思った。
序盤の「朝食のピザトースト」のある一文がブッ刺さってしまい、本を閉じてしばらく俯いてしくしく泣いてしまった。落ち着いてから再び本を開く。読み進めると「アッパッパ」という単語が出てきた。女性が着るワンピースのことらしい。そういえば自分の母親もなんか適当な服のことをオッペケペと言っていたなあと思い出し、西の方の方言なのかなと思い検索をするとオッペケペー節という歌しかでてこない。記憶違いだったのかも。感覚で物事を捉える傾向にあるので、すぐふーんそんな感じねとわかった気になることが多く、記憶違いもしょっちゅうある。その点僕マリさんの記憶力はすごい。エッセイを書くことにおいて必須なパラメーターだと思う。私はなにかのきっかけである事象を思い出しかけた時、ああこれ知ってるな、とすぐすべて把握した気になって思考を止めてしまう。そのせいで同じ本を何度も読むことができなくなった。よくない。
ファミマの入店音が「お前も死ぬ、みんな死ぬ」と聞こえたと記載があった。私の耳にもそう聞こえるようになってしまった。我が家はファミマにしょっちゅう行く習慣がある。なぜならファミペイアプリを使うとお得に商品を購入できる機会が多いからだ。得をすることや、得をすることが好きな人のことを私の配偶者は「やっこ」と呼んでいる。なんか配偶者の地元の方言らしい。この家の世帯主が「やっこ」ならば家人の私もどんどん「やっこ」に染まっていく。ファミマに行く。
「お前も死ぬ、みんな死ぬ」
得をする代償に誰も変えられない真実を毎回浴びる。
著者は最近野球に興味をもったようだが、私もここ数年で野球に興味を持った。スポーツから縁遠い人生だったけど、楽天スタジアムが割と近いため試合をよく観に行くようになった。行けない日はアプリで観戦している。選手の顔と名前より先に登場曲を覚えた。でかい球場で聴く歌は最高。当時浅村栄斗選手が登場曲にAdoを使っていた影響でAdoを好きになったこともあった。
あと「明日のパン」という単語に著者の配偶者が笑ったと記載があったが、私は「明日のパン」と聞いて懐かしい気持ちになった。今度こそ母がよく言っていたのである。実家の母も関西人だった。ただ自分が結婚してから10年以上家にオーブントースターを置いていなかったので食パンを食べる機会が少なく、「明日のパン」と発言したことは全くなかったが、実家ではよく聞いていたし私もよく言っていた。「明日のパン」なんて全国どこでもなじみのある単語だと思っていたので、「明日のパン」がおもしろに聞こえる人もいるんだと知る。家を出て初めてわかることって大抵興味深い。
私が一方的に著者のことが好きなのでこの本を読んで自分との共通点を見つけるとはいはい私も!!と挙手をしたい気持ちになる。もし目の前に僕マリさんがいたらと想像すると「アノ…エト…」と私がちいかわおばさんになってしまうことは間違いないのだが、 文章上なら挙手したっていいよね。今回もすんごく面白かった!
大人だって、泣いたらいいよを読んで
表紙はイラストレーターのわかるさん

昔からこの人のLINEスタンプを愛用していたので馴染みのある表紙だった。
わかるさんのツイートにより紫原さんがクロワッサンオンラインでお悩み相談の連載をしていることを知った。
エッセイは好きでよく読むが、対談形式のものやお悩み相談ものは読んでこなかった。
紫原さんの回答はとても鮮やかで、そんな切り口があったのかと驚いた。
面白い人を見つけると過去作まですぐ遡ってしまう癖のある私は、過去の記事を貪るようにして読んだ。
その連載が今回一冊の本になった。発売前からとても楽しみにしていた。
発売するにあたりTwitterで新しいお悩みを募集していて、私も紫原さんから回答してもらいたい。
その回答を自分の血肉にしたいという欲望がむくむく湧き、文章を考えてみたけれど自分の悩みをまとめることができず見送った。
この本のなかで「人に好きになってもらえない、モテるにはどうしたらよいか」という悩みに対して
紫原さんは「するべきことはただ一つ。相手の素敵なところを見つけて伝える」と回答していた。
なんてシンプル。
そこで本を読んで頭の引き出しが開きやすい私は思い出すことがあった。
相手の素敵なところを見つけて伝えるということは私もしていた時期があった。
私にとっての「素敵」は自分に持ってない発想や言葉の選び方を持っている人だったのでこういうことできてすごいねと伝えたり、その発想にいたるまでどういう背景がのその人にあるのか聞いたりしていた。
それがやっぱり自分の血肉になるような気がしたしとても面白かった。
でもある日すごいねと伝えた相手に
「普通の人はそんなふうに相手のことを直接褒めたりしない」とばさっと言われた。
だから貴重だねみたいに良いことばが続くことはなかった。
アニメ飛べ!イサミのオープニングテーマ冒頭よろしく鋭くいかれたわけ。

ハートを磨くっきゃない、名曲だな。
鋭くなんて今だから言えることで当時はなんかもやぁとして「そっか。へへ…」とヘラヘラして自分からうやむやにしてしまったけど
この本を読んで、「普通じゃない」と批判されたような気になってその時実は傷ついていたことを知り、自分がしていたことを紫原さんは肯定して他者にもさらに勧めている…!と思い救われた。
救われると下向きな考えから解放される。「普通じゃない」とバッサリ言った子はもしかしたら思いもよらないところを褒められて恥ずかしくて咄嗟に出たことかもしれないみたいに違う角度から考えることができた。
本当のところどうだったかなんて今の私にはどうだってよくて、
自分が直接紫原さんに悩みを送らなくてもこういった形で自分の血肉になることを知った。
送られてきたお手紙を頼りにどんな相手かを想像して、寄り添い、相手の素敵なところを見つけて伝えるということは
全ての相手に紫原さんがしていることだった。
選択肢を複数提示する場合はどれを選んでもなんかハッピーになれそうな気がする回答もあれば
人間関係ってパワーゲームだからとキレッキレの真実を突きつけられたりもして
その緩急にぐっときてしまう。
お悩み相談の間に挟まれるエッセイはそんなとこまで見せちゃっていいの?!というエピソードがあって元気がもらえた。
私の尊敬する人は「損をするぐらいのつもりで書いたのではないかという本が、私を何度も勇気づけた」と言っていて
私にとってのこの本はそれに該当する気がした。(損をするつもりで全然なかったら大変申し訳ないのですが)
スマートな大人がふと無防備な言葉を口にするとほっとして愛おしく思うと紫原さんは言う。
それは無防備な言葉をこぼす側からすればとても安心する言葉だ。無防備をダッサと切り捨てず愛おしく思う精神は持っていきたい。
相談者ではない読者で救われた人は私以外にもたくさんいるはずだ。
とっておき
自分の中のとっておきのもの、自分の好きなジャンルごとそれぞれ存在する。
とくに小説漫画エッセイなど本にまつわるとっておきは、自分の琴線に深く深くぐっとくるものが多い。
エッセイのとっておき こだまさんの新刊「ずっとおしまいの地」を読む。
ある作家さんから本はあとがきから読むということを教えてもらったことを思い出し、私も今回はそれに倣ってみた。
フレッシュネスバーガーのことが書いてあった。
学生時代私はとある定食屋でバイトをしていた。大戸屋ではないその謎のチェーン店の定食屋は、フレッシュネスバーガーのフランチャイズ店だった。
各フレッシュネスバーガーの社員が集まる忘年会に来てほしいと当時の店長にお願いされ、
こんないい子たちが集まるバイトの中で自分が選ばれたのかと舞い上がり二つ返事でOKしたが、あとになってみんなに断られ最後に私に依頼が来たことを知った。
忘年会は渋谷で行われ、帰りの電車は終電。電車内で猛烈な尿意をもよおし、どうしても我慢できず、自分の最寄駅二つ手前で降り用を足した。その駅は店長の最寄駅でもあった。
「反対側のホームにこの駅トイレあるから」教えてくれて、店長は人ごみの中に消えていった。
当然電車はもうなく、タクシーで家まで帰ったことをよく覚えている。
こだまさんの本を読むと不思議と感想や、読んで思い出した自分の出来事を書いてみたくなり、それを実行してしまう不思議な力がある。
そして今回もたまに訪れる、目は文章を追っているはずなのに脳は自分と重なる出来事を追体験している謎現象が起こった。
ピカチュウの凧というこだまさんが飼い猫亡くしたあとの話を読んでいたときがそうだった。
一度読んだことがあるはずなのに涙も鼻水も止まらなかった。自分が一緒に住んでいた猫を亡くした時期と近かったのもあるかもしれない。
脳が全然違うことを考えていたので改めてもう一度読もうと思う。
こういう体験ができるからとっておきなんだよなと改めて思う。
余談だか中盤で出てくる日記の六月某日「死を包む」に共感しすぎてそうそうそうそう!!!!としか思えなかった。
私も同じ言葉を人からかけてもらい、その時は違和感を感じる程度だったがきちんと言葉にしてもらえてとても腑におちた。
本当にありがとうございます。
作品の構成も素晴らしかっです。
私は中盤の日記を後日談と捉えたので、スピンオフを読んでいるような気分で楽しく読みました。
表紙もすごくいい。

鳥の顔面かわいすぎる。
冒頭で「エッセイを通して過去の自分に何度も救われている」という文章がとても素敵でした。
いつか私も過去の自分に救われたと思う日が来ればこんなに嬉しくて、自分を赦せると実感できることは他にないと思います。
そしてあとがきの最後に 令和四年八月 こだま という表記をみたときに同じ時をこうして生きているんだなと改めて実感できて嬉しかった。
なんか「推し」がいる人みたいなこと書いちゃったなあと思ってしまったけど、こだまさんはもう私の推しなんですねきっと。
これからもどうか健やかで書き続けてほしい、私のとっておきの作家さんがこだまさんです。