SS書きます
今日は遠距離恋愛中の恋人と久々のデートだ。ワカコははやる気持ちを抑えられなかった。
彼氏のトシアキは去年からのUターン就職で東北に帰ってしまい、東北東京間で遠距離をしてから1年はたつ。
仕事とお金の都合をつけ月に1回は会えるようにしていた。
集合場所は横浜。ワカコの家からも行きやすい場所だった。
天気も良かったのでサブウェイでサンドイッチを買い大桟橋の芝生の上で2人で食べた。
周りは家族連れで賑わい、私たちの食べこぼしたパンカスに鳩が群がって来ていた。
食べ終わったところでトシアキが言った。
「大事な話があるんだ。」
雰囲気が一気にピリつく。
ワカコは前日トシアキが送別会に参加したと聞いていたため、大事な話とはリストラされたに違いないと確信した。トシアキ自身が送別されたのだ。
1秒でワカコの脳内にトシアキが就活を頑張っていた映像が浮かぶ。あんなに頑張っていたのになぜトシアキが…なぜ…
「結婚しよう。」
ワカコはぽかんとした。あまりに違う角度からの内容に話がついていかない。
相変わらず鳩は群がってるし、周りの子供達はうるさい。
「それからこれ…」
とトシアキはワカコの返事を聞く前にカバンを漁って何かを探している。
この流れは…婚約指輪…!合理的な性格であるワカコは話についていけない中でもそこはピンと来た。
「あったあった。ハイ。」
渡された箱は婚約指輪の箱より細くて長い。
いや、そもそもラッピングされてない。
おそるおそる開けるとそこには【春日】というトシアキの苗字の印鑑だった。
「結構コレいいやつなんだからな…///」
謎のドヤ顔をするトシアキが目の前にいた。
夜景の綺麗なレストランでプロポーズされることに喜びを感じるタイプではないとワカコは自負していたがさすがに婚約指輪の代わりに印鑑なんて聞いたことがない。
思わず吹き出してしまいワカコは承諾した。
次の年、土砂降りの中2人は結婚式を挙げた。
ー完ー
これはブタゴリと私の実話です。
名前はオードリーのお二人から拝借しました。
書けば書くほど寒いし文章より喋った方が面白いなと思ったんですけどネタがないよりいいかなと思いここに公表します。
サウンドトラックについてのはずが着地点が無職という話
音楽が好きだ。
学生の時の授業も好きだしJ-POPや歌謡曲も好きだ。洋楽はてんで疎いがビートルsズとYESなら1枚ずつCDを持っている。
フェスによく行ってた時期もあり、週2で同じバンドのライブにも通っていた時期もあった。
ただ今回はサウンドトラックの話をしたい。
アニメや映画を観るにあたりサントラへの比重が私の中では大きい。
小学生だったころネットもいまほど普及しておらず、新しい音楽を知るにはCDを直接購入するかTSUTAYAに行くしかなかった。
我が家は購入よりレンタル派だったのでTSUTAYAによく行ったことを覚えている。
当時からジブリが好きだったのでジブリのサントラを借りてははテープにダビングをしていた。A面B面にぱっつんぱっつんにいれた。
なぜこんなにワクワクする音楽を作れるのか久石譲に思いをはせた。
それを自分の部屋で大音量で流すのが好きだった。
当時自分の家の向かいがちょうど建築中であり、私の部屋から流れるトトロのテーマのリズムに合わせて「トットロ トット~ロ♪」と大工さんが金槌をうったユーモアは今でも良き思い出として引き出しにしまっている。
ゲームもまたサントラを重視する。セガサターンがむかしうちにあったのだが、ソフトをCDコンポにいれるとサントラと化す仕様のものが多かった。
CD手に入れなくても得じゃーんと思いながら「ナイツ」のサントラは聴きまくった。
当時ゲームや周辺グッズとともに大変な人気があった「サクラ大戦」に関してはソフトをCDコンポのいれると
「こらー!これはセガサターン専用ソフトですよ!」と主人公の声優さんが怒った声が流れた。もちろんサントラは入ってはいない。子供ながらにこいつぁ商売上手だなあと思ったものである。
かなりのブランクが空いてここ数年またゲームに手を出しているが、昨年ご縁があり、今一番やっているゲームのサウンドディレクターの人と一緒に仕事をすることができた。一緒に仕事をするなんて表現は大げさだけどそれだけ嬉しい出来事だった。
サントラを販促することができた。
音楽に関わる仕事がしたいと思っていた時期もあったがあきらめ、違う形でこうして好きなゲーム音楽に関われるんだと身をもって実感できた。これもまた引き出しに大事にしまってある思い出だ。
まあその職場も辞め気づけば半年ちかくまた働いていない。
面接は何社かうけているが全部落ちている。
はやく働かないと夫にまた「無職はエナジードリンクを飲むな」と言われてしまう。
はよ働こ。
無題(後編)
この出来事から翌日足袋の火葬に向かった。
着いたペット霊園はがらんとしていて寂しい雰囲気の場所だった。
悪天候の中私たちは傘をさす。そこへ和尚の車がやってきた。
車から降りてきた和尚を見て驚愕した。角刈りに色のついたメガネ、グレーの丈が短めのパーカーにグレーのスエット。声はめちゃくちゃガラガラだ。もうカタギの人やないやん。怖い。しかも左足にはギプスをしていた。数日前階段から落ちて骨折してしまったらしい。パワーありすぎて第一印象が ??? の状態だった。杖をついて歩いているので傘をさしていなかった。恐る恐る角刈り和尚と相合傘をすると
「だいじょうぶだぁ〜〜」なまり全開で気遣われる。カカカと笑いながら玄関でギプスが濡れないにぐるぐる巻きにしていたビニールをべりべり剥がしていた。これも手伝おうとすると「だいじょうぶだぁ〜〜」とやっぱり言われる。怖いのは見た目だけだった。着替えるのも困難なようなギプスをしていたので上だけサクッと袈裟を着て角刈り和尚はお経をあげた。30秒くらいでおわった。
火葬をしている間、受付のソファで時間が過ぎるのを待った。
ふと角刈り和尚が自分の寺にタヌキがよく来ると教えてくれた。年季の入ったアルバムを差し出され、ひらくとかなりの至近距離でタヌキが写っている写真がたくさんあった。
「タヌキはねえ酔っぱらっておもしぇんだ~」
角刈り和尚は不意に言った。
ちょっと意味が分からない。ぽかんとしていたら説明が続けられた。
「タヌキはなんでも食うろ~。イカのてんぷらに酒しみ込ませてやるとおもっしぇんだ~」
カカカと角刈り和尚は煙草をふかしながら上機嫌である。上機嫌すぎて灰を灰皿に落とすのを忘れ床にぼたぼた落ちている。
「ああ~~タヌキの置物ってお酒よく持ってますもんね~」
近所の人が納得したように言う。
そこじゃないよな~~~~~~~
その後滞りなく無事に最後まで火葬は済んだ。
足袋よ君がつないでくれたご縁で早速田舎の洗礼を受け面白い経験をさせてもらったよ。
わたしと仲良くしてくれてありがとうね。最高に優しい猫ちゃん、どうか安らかに。
無題(前編)
夫の実家の猫が死んだ。
母息子の二匹いて死んでしまったのは息子の方だ。
前足が白いので名前は足袋という。私は10年ほど前からこの足袋を知っていた。人懐っこく優しく身体の大きい猫だった。訳あって2年ほど前からご近所さんに足袋だけ引き取られ暮らしていた。引き取られた先で肺癌を患い死んでしまった。
しばらく私たちは仙台に住んでいたが、先週からまた転勤で夫の実家に戻ってきた。その矢先足袋が死んでしまった報せを受け亡骸に会いに行った。
口を少し開けて横たわった足袋がそこにいた。かわいいブランケットが身体にかけられていた。頭を撫でてみる。毛並みは良かった。ブランケットをめくってみる。想像したより痩せてはいなかった。かわいいかわいい白い足先が目に入る。改めてこの横たわった猫が足袋だということを認識したら涙が止まらなかった。
引き取ったご家族全員が足袋を溺愛してくれて幸せな最期を過ごしたことがわかった。
すごく短命だったわけじゃないし長寿だったわけでもない。出会ったとき3.4歳だった猫が寿命といわれてもおかしくないような歳に死んでしまっただけなのだ。それだけ自分も歳をとっているのだ。
足袋を引き取ってくれた近所の方が翌日火葬にも是非きて欲しいと言われた。よその家の猫になってしまった火葬に行くのはどうだろうと思ったが、足袋は私にも仲良くしてくれたし何かの縁かもしれないと思い行くことに決めた。
その火葬場でとんでもない和尚と出会うことも知らずに…
水風呂と私
銭湯にいっても水風呂なんてだれが入るねんと毎回スルーしていた。しかしこの記事を見てから水風呂いいかも…と思うようになる。
お風呂と水風呂交互に入るとめっちゃええで~~的なことを書いておられる。
当時は銭湯に行く機会もそれほどなく、足を少し入れては冷たさに耐えられず毎回断念していた。
数年後モーニングでこの連載を目にする。
マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~(1) (モーニング KC)
- 作者: タナカカツキ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/01/22
- メディア: コミック
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筆者がサウナ大使としてサウナの素晴らしさをひたすら伝える漫画である。ちなみにコップのフチ子さんをデザインされた方でもある。
サウナと水風呂を繰り返すことによって脳に酸素がたくさん送られ多幸感を得ることができる。その状態をサウナトランスといい、動詞にするならば「ととのった」と表現していた。
お風呂よりサウナのほうが身体はあったまりそうだしこれなら水風呂に入れるかもと思い、挑戦してみる。膝までいけた。断念より「自分もととのってみたい」気持ちが勝り次回はへそ、その次は肩と段階を踏んでだんだん水風呂に入れるようになった。
わたしが「ととのった」のはこの初めて肩までつかれたときである。ここの水風呂は滝のような形で壁の上のほうから水が流れている仕組みで、ジャバジャバとつねに水の音がしている。あれ?ととのってるかもと思った時には冷たさで喉がスースーして目の前がゆっくり回っているような感覚になり、目を閉じると水の音がやたら大きく聞こえウワ~~きもち~~~~となった。
だがやりすぎてぶっ倒れても夫と来ているので女湯に知り合いはいない。見ず知らずの他人に全裸で迷惑をかけるのは申し訳なさすぎると理性が働きそう思った瞬間には毎回水風呂をでている。
これを経験できる日は毎回よく眠れる。
作中ではサウナは前戯!水風呂が主役!と表現されていたがまさにそうだと思う。
おそらくサウナと水風呂に入るのは男性より女性のほうが少ないと思う。世間ではアメトークでサウナ芸人が紹介されたり、マツコデラックスの番組でいろいろな銭湯が紹介されている。またSPA!でも尊敬するまんしゅうきつこ先生がサウナ漫画を描いている。女性のみんなもっとサウナをたのしめばいいとも思うが、いつ行っても空いているサウナと水風呂でなくなるのも嫌だなと思ってしまう。
そのくらいサウナと水風呂は最高なのだ。
映画夜は短し歩けよ乙女
きっかけは2010年ノイタミナで放送された「四畳半神話大系」というアニメだ。
深夜車で学生のころの友人の家に遊びに行き、私たちは社会人になったアレコレを楽しくおしゃべりをしていた。テレビはBGM程度につけっぱなしになっておりだれもみていなかった。
そのとき「ぼのぼの」でおなじみの汗をかくときに出る効果音がテレビから聞こえてきたのだ。思わずテレビにくぎ付けになった。でも流れているアニメには人間が出ている。「ぼのぼの」ではない。なんだこの影絵のような人物ががぐにゃぐにゃ動くカラフルなアニメはと衝撃をうけたことを今でも覚えている。そして初めてみたはずなのに謎の既視感があった。
映画クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険だ。
この追いかけっこのシーンが強烈に印象に残っている人は少なくないと思う。
これは面白いに決まっていると思い家に帰ってから1話から全部観た。調べるとこのクレしん映画の絵コンテを担当した湯浅政明という人物が四畳半神話大系のアニメの監督を務めていた。他にもクレしん映画ロボとーちゃんやピンポンのアニメに関わっており、絵や動きを観ただけでこれは湯浅さんが関わっているとわかるくらい個性的だった。
原作は小説ということを知り、原作厨の私はすぐにamazonで購入することを決め、併売として夜は短し歩けよ乙女も表示されていたので勢いで買ったのである。こうして今から7年前に今回の映画の原作に触れる機会を手に入れた。以来原作者の森見登美彦氏のファンになり、ほかの作品も読み、今でも楽しんでいる。
夜は短し歩けよ乙女のアニメ化も心から望んでいた。できれば湯浅監督でと望んでいた。望みは叶い、四畳半神話大系のスタッフと同じと知って小躍りしたくなる気持ちを抑えられずにはいられなかった。しかも主演声優は四畳半神話大系と同時期に知って好きになった星野源だった。
作中の言葉を借りるならば「こうして出逢ったのものも、何かの御縁。」と言わずにはいられない。
原作は4章を四季ごとにわけ、1年間を書かれていることに対し、映画は一夜で四季をめぐる構成になっていた。映画という限られた時間のなかでのこの構成はテンポの良さに拍車をかけたと思う。観ていて爽快だった。
原作で想像していた情景が映像という形で目に飛び込んでくることに感動を覚えた。偽電気ブランや火鍋を口にするシーンはあまりにアニメ的すぎるがそこがユーモラスで自分も口にしたいと心底思った。三階建て電車の登場シーンには、ああこうなっていたのかと不思議な説得力がありうっすら涙が浮かんでしまった。
アニメーションでできるすべてのことを取りこぼすことなくやってのけた傑作だと思う。
これから映画を見る人はぜひ原作を読んでからこの傑作を観てほしいと思う。
お飲み物
「麻婆豆腐は飲み物です」
こんな感じのタイトルのブログを若槻千夏がやっていたと思う。ブログこそ読んだことはなかったが、このタイトルには強く同意したのを覚えている。
せっかちな性格なので食べるのが早い。
だいたいの食べ物は数回ほどの咀嚼後飲み込んでしまう。まだあまり形が崩れていない状態で食べ物が食道を通っていくことが好きなのだ。
のど越しを楽しむものはビール以外にもたくさんある。
スパゲッティのつるつる感や、ごはんのひとつぶひとつぶを食道で感じるのはなんとも快感である。
咀嚼をして唾液とでんぷんを混ぜ、ブドウ糖ができる事によって「あんま~~~~~い」と感じることは私には必要ない。
優先すべきはのど越しなのである。
咀嚼をしないことによって満腹中枢の刺激が遅れ、必要以上に食べ過ぎることが多々ある。ラーメン二郎を食べられるのもこのせいだと思う。
せっかちなのは食事だけではない。
漫画や本もだ。漫画なら大抵1冊10分で読める。だがお察しの通り内容はほとんど入っていない。
ではなぜページをめくる手が止まらないのか。
それは自分の今まで知らなかった情報が脳を通過することが快感なのだ。
速読ができるわけでないので本当に通過である。このキャラクターがさっきとは違うことを言って、みたことない動きをしている。すごーい!
ただただものすごく薄っぺらい好奇心が私のページをめくる手を動かしているのだ。
それでは同じ本を何度も読めばだんだん内容が頭に入ってくるのではないか。そう思って一度読んだ漫画を手に取っても「なんかこれ読んだことある気がするなあ」なんて一瞬でも思ってしまうと一気に読む気がなくなり本棚へ直行するのだ。
こんなに愚かなことがあるだろうか。
このままではいけない。もう三十路を迎えたし代謝も落ちてる。
よく咀嚼することで食べ過ぎを防ぎ、消化器官の負担を抑えればダイエットにもつながるはずだ。
漫画や本だって時間がかかってもゆっくり咀嚼することで無駄な時間も省けるし、このブログに感想だって書けるようになるかもしれない。
そんなことを考えながら先ほど夕食の用意をして、着席してから5分で大盛のスパゲッティを平らげた。