「ボーーっとして!!」

GWにコジコジ万博へ行ってからさくらももこへの熱がいまだに冷めない。

家に帰ってからコジコジ3巻と初期エッセイ三部作とまる子だった日々の三部作を一気に購入した。

全部読んだことがあるが、今住んでいる家には「神のちから」以外の作品はなかった。

 

ちびまる子ちゃんの町、静岡県清水市で私も幼少期を過ごし、いつも怒ってる母親、我かんせずな父親、2人姉妹であることなど

共通点は多い。

エッセイを読むとまる子の母はいつも怒っている。

私の母もよく怒っていた。

「あんたはいっつもボーーっとして!」と何度も怒られた。

そうか、私はボーッとしていたのかとその時初めて気づく。

 

物心ついたころから、宇宙におもいを馳せ、大地震が来たらどうしようと不安な妄想をしては怖がり、

好きな漫画にこんなキャラがいたらと頭のなかで二次創作の連載をするなどに勤しんでいた。

アニメで二次創作をする場合は頭の中で声優の声も忠実に再現していた。

「心の声」はなぜこんなにも自在にいろいろな声をだせるのだろうと不思議に思い、

友達に「心の声ってモノマネめっちゃうまくない?」と突然聞いて困惑させたことがあった。

現実と妄想の境界線がまだ曖昧なくらい幼い時からいろいろな考えを頭の中に巡らせていた。

変な子供だった。

 

基本的にそれらを誰かに話すわけでもなく黙々と脳みそを動かし続けていたら

はたから見ればボーーっとしてと思われるのは当然だった。母は見たままの通りを言っただけのことだった。

 

母の言うことを鵜呑みにし、自分はボーーっととしている人間だと思い続けていたが、

大人になりそれは母視点の話であり、私自身はいつも何かを考えるのに忙しかったんだと気づいた。

答えに辿り着けない何かをいつも考えている。通勤中も、仕事のときも、お風呂のときも、寝る前も。

仕事のときは仕事のことだけをもう少し考えるようになればミスが減るのに。

 

今日も答えに辿り着けないことをぐるぐると考えてしまった。

 

毎週「週刊SPA!」で連載されている「犬々ワンダーランド」を楽しみにしている。

保護犬に関することのエッセイ漫画で先月から動物の保護活動をしている人がとりあげられていた。

 

世の中には悪質な保護団体もいて、安く引き取り転売するために、劣悪な環境に動物たちを置く団体がいる。

自分達が知らないところでもかわいそうな子がたくさんいる。

魔法が使えたらいっそのことこの世から動物を消してしまいたいと作中でその人は語っていた。

 

すごく驚いてしまった。

重く極端な言葉に驚いたのではない。

取材をうけていた方はきっと動物に対して真剣に向き合っている人だから極端な表現になったんだと思う。

でも消えるべきなのは動物ではなく人間のほうでは…?という気持ちで私はいっぱいになってしまった。

消す対象が真逆だったことに驚いてしまったのだ。

 

いやでも自分あっての人生だし、この人はずっと真っ当なことをされてるから自分も含む人間が消える必要はないか…

いやでも劣悪な環境そのものを作ってるの人間だよな…など答えが出ないことをもんもんと考える時間が続いた。

自分の意見と逆側の人の立場まで考え出したらそりゃ答えなんて出ないのよ。

そもそも「魔法が使えたら」という枕詞の内容に考えを巡らせるのは不毛なことだろうか。

私はそうは思わない。何にでも意味を見出したい人間だから。

運命とか縁って言葉大好き。

 

とかいろいろ考えてるけど、はたからみたら今日もボーーっとしている。