僕のマリ「常識のない喫茶店」を読んで

かねてより楽しみにしていた僕のマリさんの「常識のない喫茶店」をやっと手に取ることができた。

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私は著者の数年前からのファンで、活動の感想をTwitterのDMで何度か勝手に送っていたくらい好きだったので、今回の商業誌デビューは本当に嬉しかった。

著者も装画も帯の作家も全員好きだった。この三拍子が全員好きだった本はいまだに出会ったことがない。

 

読み進めていて、ああ、私の足りないところをたくさん持っている人だと思った。

著者の働いている喫茶店での出来事が胸に刺さってばっかりだ。

私には間違っている奴に「ノーと言える胆力」も「マスクの下で歯を剥き出しに」して威嚇することもできない。したいと気づいたことですらつい最近のことをこの人はやってのけている。

作中にあった「少しの勇気でストレス要因を排除できるのであれば、はっきりと拒否した方がいい」という表現に鼓舞された。と同時に「君には勇気が足りないね」と言った友人のことを思い出す。悔しくてその時は認められなかった気がするけど貴方が言ったことはきっと正しかったと思う。

 

この本の中には誰かを好きな理由と嫌いな理由であふれている。こうまではっきり書かれた本には出会ったことがなかった。

デビューする前から知っていたという贔屓目(えらそうでごみんなさい)を抜きにしても、著書の正義には共感できるものがあったし、願わくば私も同じ職場で彼女が先輩にいてくれる人生だったら

今よりももう少し自分で自分のことを傷つける人生でなかったかもしれないと思い読んでいて涙がとまらなかった。

「この世は狂っている」と堂々と言う著者のことが好きだ。

たべっこどうぶつが好きなところも好き。

わたしの家飲みののおともはいつもたべっこどうぶつだから。

 

 

後半の大好きな先輩たちが卒業していく話も、自分がなんで泣いてるかもわからなくなってしまうくらい泣いてしまった。

目は文章を追っているはずなのに、脳は自分の経験が共鳴するそのときの出来事を思い出している。

自分の心の中の引き出しを開けてくれることがまれにあるからエッセイを読むことをやめることができない。

人生に飽きてしまって早く死にたいと私に告げる友人が定期的に生きてる意味を聞いてくることがある。

うまく答えられなくて悔しかったり共感しすぎて悲しかったり今も答えられなくて辛いなと思うことがあるけど、この本を読んで私はこういう経験がしたくて生きているといえる気がした。

 

最後に著書の中でとくによかったワードをピックアップしてみる。

読んだ人にしかわからないあれだけど、共感してくれた人とはすぐ友達になれる気がする。

•歯がいっぱい出てきた

•ありがとう、きんたまをイメージして作っています

•毎晩風呂で200回ジャンプをしている

•心に虎を飼う

•インターネットの海を揺蕩ってる(たゆたってる)

•伝票にログイン時間

•なめられるな、愚痴は溜めるな

 

なんか面白い本ない?と聞かれたら私はこの本を一番最初に推す。

そんなことを聞いてくれる友達を作るところから始めなければいけないが。