凍てつきし我が青春の日々⑫

昭和19年12月22日(金)曇時々晴

昨夜は暖かいと思っておったら、夜中に雨が降って来た。御陰で今朝は駆け足がなうて済んだのには助かった。

次第に実務等の講習が多くなって来て、忙しくなる。来週は臨時試験があるが、庶務には一寸閉口する。学生時代は冬でも暖かくして勉強出来たので良かったが、今は寒い所で振るえながら勉強するので、よく頭に入らない。

今日は昨日迄と較べると割合に暖かくて良かった。

海軍に入った当初は食器一杯の飯を食べることが出来なかったが、今は却って量が少なく思われ、夜中腹が減って困る。東京にいた頃は間食していたので、食事も少しで満足しておったが、現在は飯の外は何も食べる物がないので、余計に腹がへるのだろう。

近頃はよくこんな事を考える。もし娑婆にでたら、最も理想的に生活しようと思う。軍隊で体験した事を社会で応用して見よう等と軽い空想に耽ることがある。娑婆(海軍では軍隊の外の世界を娑婆と言う)で苦しい事、辛い事は現在置かれている境遇を考えると、大した事ではない。厳しい軍紀の下、全ての個人の自由は完全に束縛されているのであるから。自分が海軍に入ったのは、天が与えた試練あると思いたい。

昭和19年12月23日(土)曇

暖まっている毛布の中より、総員起こしの少し前に出て、毛布の整頓を行うのは寒くて辛い。今朝も少し暖かいので、駆け足の時には汗が出た程であった。

朝食後クラス長の洗面を用意しなかったと言う理由で兵長と上等兵に殴られたが、我々は下士官の私兵ではない。我々は国のお召しに応じて、国に命を捧げる為に海軍に入って来たのである。下士官の私用を務めるために来たのではないのだ。その点、我々の最もよき理解者東条大尉(針尾海兵団当時の分隊長)が懐かしい。

今日は庶務の講義が無くてよかった。聞いている内に眠くなるのには弱る。

会社(萱場製作所)は今頃は忙しいだろう。あの頃一緒に働いていた同僚はどうしているかなあ。会社に勤めている時は、嫌であったが、今では寧ろ懐かしさと親しみを感じる。昨年の今頃はよく夜遅くまで居残って働いていたが、それも今考えるとなかなか楽しい物であった。三木君も弥永君、鎌田君も今は軍隊に入っておるが、如何しておることだろうか。

昭和19年も愈々暮れようとしておる。六ヶ月以前の生活と現在の軍隊生活とを比較して見るとき、その変化の激しさ甚だしいこと全く想像もしてみなかったのだ。会社に居る頃はよく働いたと思う。自分の仕事が直接前線で活躍する航空機の製作に役だっておると考えるとき、張り合いがあった。しかし今はどんなであろうか。大して身体も強くないし、第一戦に於いて対敵行動をとることが出来るだろうか。軍隊で奉公するのと、娑婆で生産に従事するのとどちらが国の為になるのであろうかと一寸軽い疑いを感じることがある。しかし国が必要としたから、自分の仕事も捨てて、応召したのであると言うことを考え、兵隊として国のため尽くさなければならない。たとえ身体は丈夫でなくとも、精神力でやりぬいて行く。頑張るのだ。