凍てつきし我が青春の日々②
昭和19年6月10日
海軍兵籍番号発表。佐二補水9719号。
昭和19年6月11日
針尾海兵団付きを命じられる。
針尾開閉団第9719号。
昭和19年6月15日
生まれて初めて60キロの米俵を担いで約500メートル運ぶ。背中が圧迫され、腰がふらついて倒れそうだつた。何回となく落とした末、やっと糧食庫まで運んだ。
煙草4箱配給あり。
昭和19年6月21日
海軍予備学生の試験を受けるため佐世保海兵団へ仮入団する。
昭和19年6月22日
学科試験。合格する。
昭和19年6月23日
身体検査。
昭和19年6月24日
口頭試問あり。
昭和19年6月29日
午後2時頃父面会に来る。嬉しかつた。頼んでいた日用品を持って来て呉れた。
昭和19年7月3日
下宿していた東京の小母さんより便りを受ける。甥の岡田直君(学友)も応召し東部第六部隊に入隊したそうだ。
昭和19年7月26日
日時の立つのは遅いようで速いものだ。はや入団以来二ヶ月近くにもなる。
毎日の土方作業には少々閉口した。
昭和19年8月4日
東条部隊に仮編入され、今日より特別訓練が始まった。
昭和19年8月30日
父面会に来る。やはり嬉しいものだ。一時間ばかりで帰る。
予備学生、主計見習尉官の採用通知遂に来ない。絶望。
昭和19年9月4日
父面会許可証を送る。
昭和19年9月16日
海軍一等水平に進級す。
今日は土曜日で、また初めて外出日であり、しかも父が面会に来る日でもあつたので最寄りの駅(南風崎)へ急いでいき、待っていたところ、12時40分も列車で父が来た。
自分の駅で待っていたので、父は驚いていた。すぐ近くの旅館へ行き父と久し振りにゆっくりと話す。親心は有り難いもの。好きだつた食物を沢山持ってきて、自分が喜んで食べるのを見て父はどんな気持ちだつたことだろう。
夕食を父と共に旅館で食べる。ああ、応召当時二度と父と食事を共にすることが出来ると思へたことだろうか。尽きぬ名残を惜しみつつ午後五時半別れて帰団する。
旅館を出ると物凄く風が吹き始めた。後を振り返ると父は何時迄も見送っている。さよなら。心配しないで。元気で無事帰還します。
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凍てつきし我が青春の日々①
先日祖父が亡くなった。亡くなったら絶対にほしいものがあった。
それは祖父が戦争の時につけていた手記である。
何年か前90代のあるじいさんがかいた絵日記が出版されて話題になった。それを私の祖父にプレゼントすると自分のは絵はないが戦争のとき日記をつけていたことを教えてくれた。
当時は手書きだったが平成に入ってワープロで文字おこししたものを見せてくれた。
読みながら涙してしまったことを今でも覚えている。
一般人が書いたものでもSNSがあれば不特定多数の人が見れる時代だ。
祖父がワープロで文字おこししたものを今度はわたしがブログに残す。
これを通して戦争のことを知ってもらうのはもちろんだが、わたしは激動の中これだけまめに日記をつけていた祖父自身のことを人に知ってもらいたい。
だれにも迷惑をかけず、我慢強く、穏やかで優しいおじいちゃんだった。
少しずつ時間をかけて残していこうと思う。
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凍てつきし我が青春の日々(帝国海軍体験記)
昭和18年9月26日
日本大学商経学部経済学科卒業
昭和18年10月19日
(株)萱場製作所入社。資材部資材課勤務を命じられる。昭和19年5月1日職制改革により本社資材部第一資材課勤務となる。
昭和19年5月20日
会社の渡辺氏宅にて萱鵬会々員集まり、会食、鶏肉のすき焼き、てんぷら等を食べた。途中警戒警報が発令されたが、薄暗い中で遅くまで、久しぶりの酒を飲む。雨の中やっと終電車に間に合った。自由が丘に着いたら下宿の小母さんが迎えに来ているので、おかしいと思ったら、佐世保海兵団への招集電報が来ていた。
昭和19年5月25日
下宿の小母さん(岡田登利)、学友の亀田君、会社の弥永君、越村さん、苅谷さんの見送りを受けて、東京駅午前11時初の急行で出発す。
昭和19年5月26日
午前10時45分博多着、父の迎え有り。入団まであと僅かしかない。
昭和19年5月27日
明日壮行会のため、父と古賀(福岡県粕屋郡)へ行き、大きな鯛やいちご等を買う。
昭和19年5月28日
夜父の会社(西部電機工業)の人を招き、ささやかな壮行会を開く。
昭和19年5月29日
親戚関係を招き壮行会をする。親しい友人も居らず、寂しさがつのる。伯父の関福三郎(亡母の兄)より「命を粗末にするな。生きて帰ってこい」と言われたことが忘れられない
昭和19年5月30日
愈々今日は出発の日である。住吉神社へ父その他家族と行き、武運長久の祈願をする。
午前10時町内の人達の見送りを受けて、博多駅へ向かう。駅には家族や親せきが来る。ああこれが最期か。左様なら。またいつの日にか会えるだろうか。
午前11時36分博多発佐世保行列車に乗り込む。応召兵で列車は一杯だ。皆の顔をもう一度見たかったが、身動きができず、住吉神社裏で見送っている筈の父達の顔も遂に見ることが出来なかった。途中で席が空いたので、座ることができた。川添のお祖母さん(継母の母)が作ってくれた「おはぎ」を三っばかり食べて、あとは食べきれなくて、捨ててしまった。お祖母さんには申し訳ない。夕方佐世保に着く。駅を出ると海軍の係官に広場に整列させられ、そのまま旅館(橘屋)へ連れて行かれ、自由が完全に束縛されてしまった。明日は愈々入団である。不安な気持ちで一杯である。薄い布団にくるまって、いろんなことを考えてる内に、眠ってしまった。
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続きはまた明日。
SS書きます
今日は遠距離恋愛中の恋人と久々のデートだ。ワカコははやる気持ちを抑えられなかった。
彼氏のトシアキは去年からのUターン就職で東北に帰ってしまい、東北東京間で遠距離をしてから1年はたつ。
仕事とお金の都合をつけ月に1回は会えるようにしていた。
集合場所は横浜。ワカコの家からも行きやすい場所だった。
天気も良かったのでサブウェイでサンドイッチを買い大桟橋の芝生の上で2人で食べた。
周りは家族連れで賑わい、私たちの食べこぼしたパンカスに鳩が群がって来ていた。
食べ終わったところでトシアキが言った。
「大事な話があるんだ。」
雰囲気が一気にピリつく。
ワカコは前日トシアキが送別会に参加したと聞いていたため、大事な話とはリストラされたに違いないと確信した。トシアキ自身が送別されたのだ。
1秒でワカコの脳内にトシアキが就活を頑張っていた映像が浮かぶ。あんなに頑張っていたのになぜトシアキが…なぜ…
「結婚しよう。」
ワカコはぽかんとした。あまりに違う角度からの内容に話がついていかない。
相変わらず鳩は群がってるし、周りの子供達はうるさい。
「それからこれ…」
とトシアキはワカコの返事を聞く前にカバンを漁って何かを探している。
この流れは…婚約指輪…!合理的な性格であるワカコは話についていけない中でもそこはピンと来た。
「あったあった。ハイ。」
渡された箱は婚約指輪の箱より細くて長い。
いや、そもそもラッピングされてない。
おそるおそる開けるとそこには【春日】というトシアキの苗字の印鑑だった。
「結構コレいいやつなんだからな…///」
謎のドヤ顔をするトシアキが目の前にいた。
夜景の綺麗なレストランでプロポーズされることに喜びを感じるタイプではないとワカコは自負していたがさすがに婚約指輪の代わりに印鑑なんて聞いたことがない。
思わず吹き出してしまいワカコは承諾した。
次の年、土砂降りの中2人は結婚式を挙げた。
ー完ー
これはブタゴリと私の実話です。
名前はオードリーのお二人から拝借しました。
書けば書くほど寒いし文章より喋った方が面白いなと思ったんですけどネタがないよりいいかなと思いここに公表します。
サウンドトラックについてのはずが着地点が無職という話
音楽が好きだ。
学生の時の授業も好きだしJ-POPや歌謡曲も好きだ。洋楽はてんで疎いがビートルsズとYESなら1枚ずつCDを持っている。
フェスによく行ってた時期もあり、週2で同じバンドのライブにも通っていた時期もあった。
ただ今回はサウンドトラックの話をしたい。
アニメや映画を観るにあたりサントラへの比重が私の中では大きい。
小学生だったころネットもいまほど普及しておらず、新しい音楽を知るにはCDを直接購入するかTSUTAYAに行くしかなかった。
我が家は購入よりレンタル派だったのでTSUTAYAによく行ったことを覚えている。
当時からジブリが好きだったのでジブリのサントラを借りてははテープにダビングをしていた。A面B面にぱっつんぱっつんにいれた。
なぜこんなにワクワクする音楽を作れるのか久石譲に思いをはせた。
それを自分の部屋で大音量で流すのが好きだった。
当時自分の家の向かいがちょうど建築中であり、私の部屋から流れるトトロのテーマのリズムに合わせて「トットロ トット~ロ♪」と大工さんが金槌をうったユーモアは今でも良き思い出として引き出しにしまっている。
ゲームもまたサントラを重視する。セガサターンがむかしうちにあったのだが、ソフトをCDコンポにいれるとサントラと化す仕様のものが多かった。
CD手に入れなくても得じゃーんと思いながら「ナイツ」のサントラは聴きまくった。
当時ゲームや周辺グッズとともに大変な人気があった「サクラ大戦」に関してはソフトをCDコンポのいれると
「こらー!これはセガサターン専用ソフトですよ!」と主人公の声優さんが怒った声が流れた。もちろんサントラは入ってはいない。子供ながらにこいつぁ商売上手だなあと思ったものである。
かなりのブランクが空いてここ数年またゲームに手を出しているが、昨年ご縁があり、今一番やっているゲームのサウンドディレクターの人と一緒に仕事をすることができた。一緒に仕事をするなんて表現は大げさだけどそれだけ嬉しい出来事だった。
サントラを販促することができた。
音楽に関わる仕事がしたいと思っていた時期もあったがあきらめ、違う形でこうして好きなゲーム音楽に関われるんだと身をもって実感できた。これもまた引き出しに大事にしまってある思い出だ。
まあその職場も辞め気づけば半年ちかくまた働いていない。
面接は何社かうけているが全部落ちている。
はやく働かないと夫にまた「無職はエナジードリンクを飲むな」と言われてしまう。
はよ働こ。
無題(後編)
この出来事から翌日足袋の火葬に向かった。
着いたペット霊園はがらんとしていて寂しい雰囲気の場所だった。
悪天候の中私たちは傘をさす。そこへ和尚の車がやってきた。
車から降りてきた和尚を見て驚愕した。角刈りに色のついたメガネ、グレーの丈が短めのパーカーにグレーのスエット。声はめちゃくちゃガラガラだ。もうカタギの人やないやん。怖い。しかも左足にはギプスをしていた。数日前階段から落ちて骨折してしまったらしい。パワーありすぎて第一印象が ??? の状態だった。杖をついて歩いているので傘をさしていなかった。恐る恐る角刈り和尚と相合傘をすると
「だいじょうぶだぁ〜〜」なまり全開で気遣われる。カカカと笑いながら玄関でギプスが濡れないにぐるぐる巻きにしていたビニールをべりべり剥がしていた。これも手伝おうとすると「だいじょうぶだぁ〜〜」とやっぱり言われる。怖いのは見た目だけだった。着替えるのも困難なようなギプスをしていたので上だけサクッと袈裟を着て角刈り和尚はお経をあげた。30秒くらいでおわった。
火葬をしている間、受付のソファで時間が過ぎるのを待った。
ふと角刈り和尚が自分の寺にタヌキがよく来ると教えてくれた。年季の入ったアルバムを差し出され、ひらくとかなりの至近距離でタヌキが写っている写真がたくさんあった。
「タヌキはねえ酔っぱらっておもしぇんだ~」
角刈り和尚は不意に言った。
ちょっと意味が分からない。ぽかんとしていたら説明が続けられた。
「タヌキはなんでも食うろ~。イカのてんぷらに酒しみ込ませてやるとおもっしぇんだ~」
カカカと角刈り和尚は煙草をふかしながら上機嫌である。上機嫌すぎて灰を灰皿に落とすのを忘れ床にぼたぼた落ちている。
「ああ~~タヌキの置物ってお酒よく持ってますもんね~」
近所の人が納得したように言う。
そこじゃないよな~~~~~~~
その後滞りなく無事に最後まで火葬は済んだ。
足袋よ君がつないでくれたご縁で早速田舎の洗礼を受け面白い経験をさせてもらったよ。
わたしと仲良くしてくれてありがとうね。最高に優しい猫ちゃん、どうか安らかに。
無題(前編)
夫の実家の猫が死んだ。
母息子の二匹いて死んでしまったのは息子の方だ。
前足が白いので名前は足袋という。私は10年ほど前からこの足袋を知っていた。人懐っこく優しく身体の大きい猫だった。訳あって2年ほど前からご近所さんに足袋だけ引き取られ暮らしていた。引き取られた先で肺癌を患い死んでしまった。
しばらく私たちは仙台に住んでいたが、先週からまた転勤で夫の実家に戻ってきた。その矢先足袋が死んでしまった報せを受け亡骸に会いに行った。
口を少し開けて横たわった足袋がそこにいた。かわいいブランケットが身体にかけられていた。頭を撫でてみる。毛並みは良かった。ブランケットをめくってみる。想像したより痩せてはいなかった。かわいいかわいい白い足先が目に入る。改めてこの横たわった猫が足袋だということを認識したら涙が止まらなかった。
引き取ったご家族全員が足袋を溺愛してくれて幸せな最期を過ごしたことがわかった。
すごく短命だったわけじゃないし長寿だったわけでもない。出会ったとき3.4歳だった猫が寿命といわれてもおかしくないような歳に死んでしまっただけなのだ。それだけ自分も歳をとっているのだ。
足袋を引き取ってくれた近所の方が翌日火葬にも是非きて欲しいと言われた。よその家の猫になってしまった火葬に行くのはどうだろうと思ったが、足袋は私にも仲良くしてくれたし何かの縁かもしれないと思い行くことに決めた。
その火葬場でとんでもない和尚と出会うことも知らずに…
水風呂と私
銭湯にいっても水風呂なんてだれが入るねんと毎回スルーしていた。しかしこの記事を見てから水風呂いいかも…と思うようになる。
お風呂と水風呂交互に入るとめっちゃええで~~的なことを書いておられる。
当時は銭湯に行く機会もそれほどなく、足を少し入れては冷たさに耐えられず毎回断念していた。
数年後モーニングでこの連載を目にする。
マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~(1) (モーニング KC)
- 作者: タナカカツキ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/01/22
- メディア: コミック
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筆者がサウナ大使としてサウナの素晴らしさをひたすら伝える漫画である。ちなみにコップのフチ子さんをデザインされた方でもある。
サウナと水風呂を繰り返すことによって脳に酸素がたくさん送られ多幸感を得ることができる。その状態をサウナトランスといい、動詞にするならば「ととのった」と表現していた。
お風呂よりサウナのほうが身体はあったまりそうだしこれなら水風呂に入れるかもと思い、挑戦してみる。膝までいけた。断念より「自分もととのってみたい」気持ちが勝り次回はへそ、その次は肩と段階を踏んでだんだん水風呂に入れるようになった。
わたしが「ととのった」のはこの初めて肩までつかれたときである。ここの水風呂は滝のような形で壁の上のほうから水が流れている仕組みで、ジャバジャバとつねに水の音がしている。あれ?ととのってるかもと思った時には冷たさで喉がスースーして目の前がゆっくり回っているような感覚になり、目を閉じると水の音がやたら大きく聞こえウワ~~きもち~~~~となった。
だがやりすぎてぶっ倒れても夫と来ているので女湯に知り合いはいない。見ず知らずの他人に全裸で迷惑をかけるのは申し訳なさすぎると理性が働きそう思った瞬間には毎回水風呂をでている。
これを経験できる日は毎回よく眠れる。
作中ではサウナは前戯!水風呂が主役!と表現されていたがまさにそうだと思う。
おそらくサウナと水風呂に入るのは男性より女性のほうが少ないと思う。世間ではアメトークでサウナ芸人が紹介されたり、マツコデラックスの番組でいろいろな銭湯が紹介されている。またSPA!でも尊敬するまんしゅうきつこ先生がサウナ漫画を描いている。女性のみんなもっとサウナをたのしめばいいとも思うが、いつ行っても空いているサウナと水風呂でなくなるのも嫌だなと思ってしまう。
そのくらいサウナと水風呂は最高なのだ。